先日、私の母子手帳が、40年ぶりに、出てまいりました。
私のと言っても、勿論、私が出生する際に、
母が作りました、母子手帳です(笑)

私の、出生時のデータは、
11月22日午前2:40誕生 35週 早産
体重2400g 身長43cm 胸囲29cm 頭囲31cm
以上です。

今の、丸々とした私を知る方は、
まさか、私が、未熟児だったとは、思いません ^^;

私は、三歳児の頃からの記憶が、
鮮明に残っております。
私が、幼児の頃、周囲の大人達から、

・この子は、目が大きくて、睫毛が長い
 女の子だったら、良かったのに
 
・この子は、足が丈夫

・この子は、耳が遠い

・この子は、内気

と、よく言われておりました。

実は、今も、耳の不自由を感じることがあります。
ズバリ、カラオケで歌う時です(笑)

「それは、お前が、音痴なだけだろう!?」
「練習不足なだけだろう?!」
と、つっこむ声が聞こえてきそうですが、
私が、あえて、細かく音を取ろうとしないのは、
無理に音を取らなくても、何とか無事に済んでしまったからです(苦笑)

なぜなら、実生活では、耳が遠いことが、
掛け替えの無い利点として、私の人生に、大きく働いているからです。

耳が遠いと、どうなるのか?
全身の毛穴を耳にして、真剣に、
相手の話を聞くのです。

相手の目の動きや、表情で、相手のおもいを、知ろうとします。
必死に、相手の声を聴き取ろうとするので、
細かい声のトーンの変化にも、敏感になります。
つまり、相手の心の変化や、本当の心の叫びに、
俊敏になってゆくのです。

私と心を結び、真に親しくなった方は、
私の、「本質に気付く力」と「相手を見抜く力」に、
誰もが気付かれます。

それも、実は、幼少期からの、生き残る為に、
聴き取る訓練を重ねることによって、自然と磨かれた、
補足能力の一つだったのです。

目がご不自由な方に、
聴覚や臭覚や味覚が優れた方が多いのは、
周知の事実です。

たとえ何かが足りなくても、
それを補うには、余りある、力を、
人は発揮させることが出来るのです。

人生には、一切無駄はありません。
たとえ何かが足りなくても、
それが功を奏して、助けられることも、
多々あります。

目や鼻や耳は、取次ぎの器官に過ぎません。
同じ状況に置かれても、そこから何を思うのかが、
人によって違うように、
同じ物を見聞きしても、何を認識するのかは、
人によって、異なります。

人は、心で、観ているからです。
心が違えば、観得る事実も、変わるからです。

『宿命を使命に変える』

宿命を使命と捉えて、自らの使命に生き抜いた時に、
人は、そのハンデを持って生まれてきた、
そのワケを知ることが出来ます。

スタートが違うからこそ、
真の自由を、謳歌することが出来ます。

人には、一つの口と、二つの耳があります。
それは、自分が話す倍の数、人の話を聞く為だと、
かのソクラテスは言っております。

少しのハンデを持つからこそ、
恩人や、友が、困った時に、
真っ先に相談してもらえる、
そんな人に、私は、成長したいのです。