私の恩師・三宅タカ子先生が、亡くなられました。
享年79歳。
先生は、私の小学校5・6年生の頃の、
担任の先生です。
訃報をお聞きした翌日、
同級生で親友の、W君に、車を運転していただいて、
長野県黒姫まで、お線香をあげさせていただきに、
伺いました。
お花が大好きだった、先生が喜ぶような、
美しい生花に囲まれた、祭壇でした。
亡くなられる直前に、お孫さんがプレゼントされたという、
動物のぬいぐるみ達も、飾られておりました。
皆、先生の遺影を囲むように、置かれていたのが、
強く、印象に残りました。
ご家族の愛に、温かく囲まれているように、
思えたからです。
先生は、亡くなられる数年前から、
ご自身の人生の総仕上げの意味も込められて、
ご自身のご一生を、一冊のアルバムへ、纏められておりました。
最初のページをめくると、目に飛び込む、
セピア色の、一葉の写真には、
「日清事変へ出征する父と」と、書かれております。
先生が生き抜かれた、激動の時代が、胸に迫りました。
どの写真にも、ひと言コメントが添えられているのですが、
「お金も何もなかったけど、幸せだった新婚生活」
「OOさんのお陰で実現した、初めての海外旅行」
「良き子達(生徒)と、楽しいお母さん達に、恵まれて、幸せでした」
と、どんな境遇に置かれていても、
すべてに感謝をされている、先生の生き方に、
胸が熱くなりました。
私の心に強く残ったのが、中国へ旅行された際の写真に添えられた、
次のお言葉です。
「貧富の差に、驚きました」
「貧富の差を、目の当たりにしました」
「貧富の差」という言葉が、
繰り返し、書かれていたのです。
貧富の差に苦しむ人々の、味方になってゆきなさい。
貧富の差を、正してゆきなさい。
貴方の手で。
これが、先生の最後の教えであり、
我が身を痛められながらも、私達教え子に託された、
ご遺訓なのだと、私には思えてなりませんでした。
教室の掃除をさぼっている者が多い中で、
一人真面目に掃除をするのが馬鹿らしくなって、
一緒に掃除をさぼった際に、
「ナベさん(私の事)が、掃除をさぼるなんて、先生は、信じられない」と、
目に涙を浮かべて、私の目を見据えて、
私の誤りを正してくださった、先生。
私が、作文コンクールで、優勝した際に、
私の手を取って、共に、踊って喜んでくださった、先生。
一番苦しかった、前座の頃、
わざわざ寄席へいらしてくださって、
「ご立派になられて・・・」と、
私の成長を喜び、激励してくださった、先生。
先生のお言葉があったからこそ、
私は、修業に耐え抜くことが出来ました。
先生の激励は、今も私を、守ってくださっております。
そして、何よりも先生は、私の生涯の友である、
6年4組の仲間達を、残してくださいました。
その先生が、最後に託されたのが、
貧富の差の解消です。
この世から、貧富の差を、無くしてみせる。
貧富の差に苦しむ人達を、一人残らず幸せにしたい。
この世の、あらゆる悲惨を、根絶したい。
その為に、現実から、逃げる事なく、
私は、精一杯、生きてゆきたいのです。
先生の偉大なる魂を、
永遠に、この胸に抱きながら・・・