私が、今、特に力を入れておりますのが、学校公演です。
ひと口に、学校公演と言っても、学校へお邪魔させていただくものから、
生徒の皆様に、寄席やホールへお越しいただくものまで、
いくつかの催し方があります。
私が最初に編み出して、幾多の開催を経て、最近定着したのが、
「修学旅行と一緒に 古典芸能鑑賞会」です。
これは、私が、生徒の皆様の宿舎のホテルへ伺って、
ホテルの宴会場を借りて、高座を作り、学校寄席を行うものです。
いわば、修学旅行への、“落語の出前”です(笑)
公演では、まずは何の先入観なく、落語を一席聴いていただきます。
勿論、話すテンポや、使う言葉は、児童・生徒向けに、アレンジします。
噺のマクラの中で、さり気なく、最初の礼の意味や、
扇子・手拭いという、小道具の使い方を、伝えます。
一席終了後、生徒の皆様から、質問を受け付けます。
昔は、「人前で、上がらないで話すコツはありますか?」
「あれだけの長い話を覚えるには、どうされるのですか?」
という質問が多かったのですが、近頃は違います^^;
「笑点に、台本があるって、本当ですか?」
「一席で、いくら貰っているのですか?」
「普段は、どんなお仕事をなさっているのですか?」(苦笑)
まで、千差万別です^^;
最後に、生徒の皆様を、お見送りをさせていただきます。
これは、私の少年時代の体験をふまえて、やらせていただいております。
私は、子供の頃は、とても内気な少年でした。
学校公演に来てくださった、劇団や楽団のお兄さんお姉さんに、
感動のおもいと、「ありがとう!」と感謝の気持ちを伝えたくて、
出口で待っているのですが、いつも勇気を奮い起こせなくて、
何も話しかけられずに、ただ黙って見送るだけだったのです。。
そこで、私は、私から一歩踏み出すのを、思いつきました。
一人一人の眼を見て、「ありがとうございました」と伝えた際の、
子供達の眼の輝きと、子供達のそのわずかな反応から、
その日の、本当の成否がわかるのです。
私は、よく、「プロとアマの違い」を、質問されます。
私はひと言、こうお伝えしております。
『お客様を観る眼が、違うのです』
『お客様への、感謝の深さが、違うのです』
『心が違うのです』
勿論、プロである以上、何よりも大切なのは、その“技”です。
技と心が、対極にあると思うのは、浅い思想であり、
その人が、まだ未熟な証です。
心が成熟しなければ、極められない技がある。
技が磨かれなければ、到達できない境涯がある。
それを知る方を、私は“プロ”とお呼びして、
最大の敬意をもって、接するように、心がけております。
アーティストである以上、伝えたいおもいや、
伝えるべく信条があるのは、当たり前。
伝えるだけで終わっては、一方通行ではありませんか?
お客様から、何をキャッチなさいましたか?
押し売りをしに、ステージへ上がられたのですか?
この世に究極は無く、究極を目指す道の中に、究極がある。
人は、皆、未完成であり、未熟であって、当たり前です。
弱い自分や、未熟な自分から逃げるのではなく、正しく正面から向かい合う。
己心の魔という、最強の敵に立ち向かう、その姿が、
人々の心を、真に震わせるのではないでしょうか。
学校寄席を開催する中で、嬉しい第一歩を、踏み出すことが出来ました。
「東京朝鮮第五初中級学校」での、学校寄席が、決定したのです!
先日、学校へ、打ち合わせに伺わせていただきました。
誰も居ない玄関で見つけた、一人の児童に、
「こんにちは!先生方がいらっしゃるお部屋は、どちらでしょうか?」
と、私が訊きますと、その児童は、
「お待ちください」と言って、走り、先生を呼んでくださったのです^^
すべての子供は、『未来からの使者』です。
明るい未来にふれることが出来て、何ともいえない、
幸せなおもいに包まれました。
私は、人生の師匠から、
『中国や、韓国や、北朝鮮は、日本の文化の大恩人の国』
『師匠の国であり、お兄さんの国』であると、教わりました。
私は、この師匠のお言葉を抱きしめて、つとめさせていただきます。
大恩ある皆様への、ご恩返しの、万分の一でも、
出来たら、嬉しいです^^
学校寄席では、世間での看板が通用しません。
誰もが知る人気者の真打よりも、前座の方がウケる事も、多いのです。
自分に対して、誠実であるかどうか。
自分に対して、真剣であるかどうか。
そこを、子供達は、澄んだ心で、見抜いているに違いありません。
「育児は 育自」
芸人を篩いにかけて、その真価を問う場。
それこそが、学校寄席に、他ならないのです。
ひと口に、学校公演と言っても、学校へお邪魔させていただくものから、
生徒の皆様に、寄席やホールへお越しいただくものまで、
いくつかの催し方があります。
私が最初に編み出して、幾多の開催を経て、最近定着したのが、
「修学旅行と一緒に 古典芸能鑑賞会」です。
これは、私が、生徒の皆様の宿舎のホテルへ伺って、
ホテルの宴会場を借りて、高座を作り、学校寄席を行うものです。
いわば、修学旅行への、“落語の出前”です(笑)
公演では、まずは何の先入観なく、落語を一席聴いていただきます。
勿論、話すテンポや、使う言葉は、児童・生徒向けに、アレンジします。
噺のマクラの中で、さり気なく、最初の礼の意味や、
扇子・手拭いという、小道具の使い方を、伝えます。
一席終了後、生徒の皆様から、質問を受け付けます。
昔は、「人前で、上がらないで話すコツはありますか?」
「あれだけの長い話を覚えるには、どうされるのですか?」
という質問が多かったのですが、近頃は違います^^;
「笑点に、台本があるって、本当ですか?」
「一席で、いくら貰っているのですか?」
「普段は、どんなお仕事をなさっているのですか?」(苦笑)
まで、千差万別です^^;
最後に、生徒の皆様を、お見送りをさせていただきます。
これは、私の少年時代の体験をふまえて、やらせていただいております。
私は、子供の頃は、とても内気な少年でした。
学校公演に来てくださった、劇団や楽団のお兄さんお姉さんに、
感動のおもいと、「ありがとう!」と感謝の気持ちを伝えたくて、
出口で待っているのですが、いつも勇気を奮い起こせなくて、
何も話しかけられずに、ただ黙って見送るだけだったのです。。
そこで、私は、私から一歩踏み出すのを、思いつきました。
一人一人の眼を見て、「ありがとうございました」と伝えた際の、
子供達の眼の輝きと、子供達のそのわずかな反応から、
その日の、本当の成否がわかるのです。
私は、よく、「プロとアマの違い」を、質問されます。
私はひと言、こうお伝えしております。
『お客様を観る眼が、違うのです』
『お客様への、感謝の深さが、違うのです』
『心が違うのです』
勿論、プロである以上、何よりも大切なのは、その“技”です。
技と心が、対極にあると思うのは、浅い思想であり、
その人が、まだ未熟な証です。
心が成熟しなければ、極められない技がある。
技が磨かれなければ、到達できない境涯がある。
それを知る方を、私は“プロ”とお呼びして、
最大の敬意をもって、接するように、心がけております。
アーティストである以上、伝えたいおもいや、
伝えるべく信条があるのは、当たり前。
伝えるだけで終わっては、一方通行ではありませんか?
お客様から、何をキャッチなさいましたか?
押し売りをしに、ステージへ上がられたのですか?
この世に究極は無く、究極を目指す道の中に、究極がある。
人は、皆、未完成であり、未熟であって、当たり前です。
弱い自分や、未熟な自分から逃げるのではなく、正しく正面から向かい合う。
己心の魔という、最強の敵に立ち向かう、その姿が、
人々の心を、真に震わせるのではないでしょうか。
学校寄席を開催する中で、嬉しい第一歩を、踏み出すことが出来ました。
「東京朝鮮第五初中級学校」での、学校寄席が、決定したのです!
先日、学校へ、打ち合わせに伺わせていただきました。
誰も居ない玄関で見つけた、一人の児童に、
「こんにちは!先生方がいらっしゃるお部屋は、どちらでしょうか?」
と、私が訊きますと、その児童は、
「お待ちください」と言って、走り、先生を呼んでくださったのです^^
すべての子供は、『未来からの使者』です。
明るい未来にふれることが出来て、何ともいえない、
幸せなおもいに包まれました。
私は、人生の師匠から、
『中国や、韓国や、北朝鮮は、日本の文化の大恩人の国』
『師匠の国であり、お兄さんの国』であると、教わりました。
私は、この師匠のお言葉を抱きしめて、つとめさせていただきます。
大恩ある皆様への、ご恩返しの、万分の一でも、
出来たら、嬉しいです^^
学校寄席では、世間での看板が通用しません。
誰もが知る人気者の真打よりも、前座の方がウケる事も、多いのです。
自分に対して、誠実であるかどうか。
自分に対して、真剣であるかどうか。
そこを、子供達は、澄んだ心で、見抜いているに違いありません。
「育児は 育自」
芸人を篩いにかけて、その真価を問う場。
それこそが、学校寄席に、他ならないのです。