「一週間のご無沙汰でございました」の名調子でお馴染みの、
昭和を代表する名司会者、玉置宏さんが、逝去なさいました。
享年76歳。

$masahikoのナイス・トゥー・ミートソース♪

私は、一度もお目に掛かったことはございませんが、
玉置さんには、一度お会いして、御礼を申し上げたいと、
ずっと思っておりました。

私の父が亡くなって、三回忌が過ぎた頃、
玉置さんは、ご自身が長年司会をされておりました、
NHK第一「ラジオ名人寄席」で、私の父を取り上げてくださったのです。

演目は、「提灯屋」。
声の調子から、おそらく、父が40代前半の頃の録音と思われます。
この噺は、「親子会」で、一度、
父の高座を袖(舞台の脇)から聴かせていただいたことはありましたが、
稽古はつけてもらうことは出来なかった、幻の父の演目。
早速、録音した一本のテープから、父の演出のままに、
噺を創り上げました。
私には、霊山から、父が稽古をつけてくれたのだと、
思えてなりませんでした。

その折の放送で、玉置さんが、
「六代目が亡くなった後、七代目はどうなっているんだ?とお思いの皆様、ご安心ください。七代目は育っています。今の000(私の芸名)さんが、六代目のご子息です。000さんが、いずれ七代目を継がれると、私は勝手に思っておる次第です」と、言ってくださったのです。

いずれは、話が出るだろうと思っていた、七代目の襲名。
それを、公共の電波で最初に発信してくださったのが、玉置さんでした。
その日までは、私にとって、漠然とした、遠い話だった、七代目襲名。
玉置さんのひと言があったからこそ、
私は、七代目襲名を、決意することが出来たのです。

後日、玉置さんが館長を務められていた、
「横浜にぎわい座」に出演させていただいた際に、玉置館長へ、
感謝のおもいを綴ったお手紙を書かせていただこうと思いましたが、
やはり直接お会いして申し上げるのが筋だと、思い直し、
断念をいたしました。

にぎわい座の高座は、生で観るか、
もしくは録画した物を後日に観るかして、
すべての高座をご覧になられていたという、玉置館長。

玉置館長ほど、落語を愛し、噺家を愛し、敬い、尽くしてくださった、
「お席亭」を、私は知りません。
今後も、玉置さんを超えるお席亭は現れないと、確信しております。

いつになるかわかりませんが、私が七代目を襲名したあかつきには、
真っ先に墓前へ馳せ参じ、ご報告をさせていただきます。
その際には、墓前にて、「提灯屋」を、
一席つとめさせていただくのを、お許しください。
「十年早い!」とお叱りを受けぬよう(笑)
精進してまいります。

今世では、お目通りの叶わなかった、玉置さん。
私達は、貴方の功績を、決して忘れません。
恩人の御霊へ、感謝のおもいを込めつつ、
合掌。