最近、僕がよく知る人や、尊敬なり憧れを抱いていた著名人が、年齢だけでなく、突然の事故や急な病、心を痛めての自殺で亡くなっていった。
死去、急逝という言葉がテレビを覆い、その方々を追悼する意味で番組上で特集が組まれている。
2年前のちょうどこの時期、私のゼミのこれから友人になっていくであろう、会って日の浅い同級生が突然亡くなった。
ゼミの教授の都合で春学期は開講されなかったので、ゼミの内定者飲み会で一度顔を合わせただけだったが、帰りに話すことができて、1年時の小規模の授業で一緒だった話をし、携帯電話のアドレスを交換して別れた。
これが最初で最後の会話だった。
彼女からメールがくる事はなく、代わりに着たのが他のゼミ生から回ってきた死亡を伝えるメールだった。
あの時の筆舌に尽くしがたい変な喪失感は今でも鮮明に覚えている。
どういう顔をして、どういう気持ちが渦巻いているのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、自分は無敵ではないと、その時確実に打ちのめされたし、死が身近に感じた瞬間だった。
面と向かって会ったのは一度しかない人の葬式に、僕は前日までの部活動の疲れを理由に、行く事は無かった。
自分の中で変な気持ちが充満して、彼女を弔う気になれなかった、というのが正しい気持ちだった。
正直、最低だと思ったし、今でも自分を責める事がある。
そんな気持ちに今、一番近い。
あの時僕は、彼女が生きれなかった明日を彼女の分まで精一杯無駄にしないように生きる、と言った。
しかし、現実問題、自分を変える事はやはり難しく、何年も何年も悩み続けて大学を卒業してしまった。
何年も何年も陰鬱な心の森を彷徨って、発狂したくなるくらい自問自答をし、その度オートマティックに精神的に追いつめられる日々が続いた。
脳内で永遠に繰り広げられる戦争は足下に転がっている答えを視界にチラチラと捉えながら、それでも尚止む事は無かった。
そして震災が起こって、得も言われぬ喪失感と無力感は世界中を被った。
私も例外ではなかった。
自分で言うのも何だが、感化され易い私は、ちょっとのことでデリケートに心が毛羽立ち、ささくれ立ってしまう。
何もできない自分、いや何でもできる自分が何故か何にもしない状態を維持し続けて、それを変える事ができない現状に、とことん甘い自分に絶望感を覚える。
演じていない自分がそこにいて、夜、気を許すと外で演じている自分が、美談ばかり理想論ばかり口にしている自分がやってきて、ポンポンと何もしていない本当の素の自分の肩を叩く。
振り返って襲われる。
今も私は自分に甘いままで、何もない状態である。
もう他人への嫉妬心も希薄になってきて、さあもうそろそろ絶体絶命という所。
そんな自分を変えたくて半ば強制的に留学を決意したわけだが。
色んな人がその人の本意とは関係なく亡くなっていく。
そういう情景を思い浮かべたからか、最近、心臓が異常に意識に飛び込んでくる。
心臓に意識が行っているのだ。
心臓に感覚があるような感じだ。
眠るとき、心臓の鼓動が気になって眠れなくなったり、心臓の筋肉の動きを感じている。
変な気分で、急に締め付けられるような感覚に陥って、死んでしまうんじゃないかとも思う。
やはり、これは自分が身近な人の死を受けて、死を意識している表れなのか、はたまた、自分が心臓を鼓動させて生きているという実感を覚えているのか。
兎に角、今私は心を、命を摩耗させて生きているということで、その歯車は軋んでいるのだ。
今となっては、生きられなかった彼女の分までとか、被災地で苦しんでる人のためとか、そういうことを言うつもりはないが、
僕は生きようと思う。
心を軋ませて。
留学に少なからずの期待を僕は持っている。
この内向的で、人を疑う事しか知らない自意識過剰な性格を治すことに期待している。
直ると思っている。治癒すると思ってる。
しかし、生活態度は思うに、どれだけ環境が変わっても、強制力をもって自制しないと直らない。
全部自分の選択に依存される生活環境だということ。
それだけ自分が全てコントロールしなければならない。
誰も助けてくれない。世話してくれない。
留学に行けば、この腐った生活も直るとどこかで思っていたに違いない。
何も予定がなければ、日本に居る時と同じように、目覚ましをかけても起きてからやることを見つけられなければ、自分への甘さがそのまま目を閉じるという行動に繋がる。
それは日本に居ても、イギリスに行っても、自分への甘さだけはほっといても変わらない。
甘さを抑制して自制心を持つ事はものすごく大変。
それだけ崖っぷちに立たされていることなんて、多くの人は崖から落ちる瞬間 に気付く。
こういうことに気付けたのはよかったが、それを何とか実行することは客観的に見ても非常に難しいのです。
この内向的で、人を疑う事しか知らない自意識過剰な性格を治すことに期待している。
直ると思っている。治癒すると思ってる。
しかし、生活態度は思うに、どれだけ環境が変わっても、強制力をもって自制しないと直らない。
全部自分の選択に依存される生活環境だということ。
それだけ自分が全てコントロールしなければならない。
誰も助けてくれない。世話してくれない。
留学に行けば、この腐った生活も直るとどこかで思っていたに違いない。
何も予定がなければ、日本に居る時と同じように、目覚ましをかけても起きてからやることを見つけられなければ、自分への甘さがそのまま目を閉じるという行動に繋がる。
それは日本に居ても、イギリスに行っても、自分への甘さだけはほっといても変わらない。
甘さを抑制して自制心を持つ事はものすごく大変。
それだけ崖っぷちに立たされていることなんて、多くの人は崖から落ちる瞬間 に気付く。
こういうことに気付けたのはよかったが、それを何とか実行することは客観的に見ても非常に難しいのです。
ブログ始めてみましたが、アメブロは色々機能が多すぎる印象があって、使い辛そうなので、試験的に書いてみます。
他のブログもチェックしてみて、最終的に主に使用するブログを決めたいと思います。
レイハラカミさんが亡くなって、とても悲しい。
素晴らしい音楽をありがとうございました。
R.I.P
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レイハラカミさんが亡くなって、とても悲しい。
素晴らしい音楽をありがとうございました。
R.I.P