あんのこと | 温故知新 YEBISU NOTE

温故知新 YEBISU NOTE

ブログの説明を入力します。

 この世に根っからの善人などいない。


道を過まり薬物依存に陥った者達の更正に手を差し伸べる人情派刑事は反面粗野な感じを持つ。しかし、それがかえって薬物依存の者達の信頼を得ることに役立っているようだった。そして、その事を報道する新聞記者がいる。

二人は、絶望的な生い立ちから薬物依存に陥った少女杏と出会う。小学校のころからろくに学校にさえいったことのない彼女の就職やら、劣悪環境の家庭から脱出させるために奔走する二人、、、


 前半は刑事の献身とそれをサポートする記者による薬物に染まった少女の再生がテーマかと思えた、、、 


   

 その中で、母子家庭における母親の子どもへの虐待、教育がない者は自立出来ず、そのことを「自己責任」の一言で片付けようとする「公」の立場にいる人々。

少女売春、薬物が蔓延する背景

パンデミックで真っ先に切られる

弱者、夜間中学に通う人々のバックグラウンドなど様々な社会問題次々と映しだしていく。


この世に根っからの善人など存在しない

     ⬇️

前半は主役の杏というよりも彼女の立ち直りに尽力する刑事と記者を中心に進んでいく。二人とも私利私欲抜きで尽力しているように見えた、、、

ただ、どことなくぎこちないというか、いわくありげに見えなくもなかった、、、、

    ⬇️

物語のストーリーを覆すような出来事があり、後半はいよいよ、杏の動向のみにスポットがあたり続ける

     ⬇️

 刑事の献身的なサポートにより

順調に更正いや再生を果たしていた杏だが、実は、他人には言えない理不尽を経験していたようだ


そして、また、杏の身の上にまた新たな理不尽が振りかかる、、


しかし、杏はそれを逆に生きる支えにしてしまう!


生まれてこのかた、虐げ続けられてきた杏は、自分はなんとか人の役にたちたい!という思いがあったようだし、それを実行できる強さも身に付いていた。


 しかし、またメガトン級の妨害者=杏の母親が現れる、、、

そして、、、


最終的にこの物語は悲劇的結末に終わる、、、


 しかし、それを単なる憤りとして終わらせるか、或いは社会の矛盾に苦しむ人々について思うきっかけになるかである。


 この物語に出てくる主な登場人物は、善悪の 悪の部分がフューチャーされる場合が多いが

その実、半分は善の部分も持ち合わせている。ただし、アンの母親だけは人の持つ悪、罪の部分がそのまま化身となったようなクズ人間である(笑


 アンの母親はそういう人物として置いておくとして、特に注目したいのは、刑事と記者である。


 薬物依存者の再生に熱血と寛容な態度で臨む刑事に嘘偽りはなかったと思う、、、そのことと「聖人君子」ではなかったことに矛盾はないと思う。社会的弱者への援助を説く記者が一方でスキャンダル狙いの狡猾な側面をもっていたとことも一人の人間に同時に存在していて不思議はない。

 二面性などというほど大袈裟なものでなく、自分の内面に「善と悪」 あるいは「明と暗」が同時に存在してて、常に対立する二者が葛藤しているなどということは、誰もが自分の内面に感じているのではないかと思う。


 そして信じられぬほどの劣悪環境で育つ者はいる。その事を、たんに哀れみでみる人がいるかもしれない。ただ、すぐに人を哀れんでみるような人は、その哀れみが簡単に蔑みに変わってしまうような気がする。逆に哀れみは持たないが、自分と関係ないこととさっさと見切ってしまう無関心さは、社会全体の不寛容さにも繋がっている気もする。


全編を通して、刑事役の佐藤二朗、記者役の稲垣吾郎のウラオモテ人間ぶりが非常に良かった!そして噂の河合優実の演技が秀逸!



 本年、3ヶ月に2回の頻度で関西に行っている。目的は大阪ミナミのナイトゾーンにおけるシークレットスポットへの出入り出入りであるのだが、昼間は少し足を伸ばして京都へ、、

アップリンク京都にて「ありふれた教室」 出町座に置いて「ミレニアムマンボ」を観た。夜は主目的のナイトゾーンであり、翌朝は本作品の最初の上映目当てに神戸国際の9時からの上映へ

三本とも観て正解だったが、まずはこの作品から、後入れ先出しで