沖縄スパイ戦史 | 温故知新 YEBISU NOTE

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太平洋戦争での沖縄での死者数は

約20万、そのうち9万は一般県民という。 今の時代、非常にきな臭さを感じる。前回はガザに関する作品に関してかいたが、今回は沖縄。最近はネットで実際に戦火を経験してもないのに、評論家面して、国防に関しての沖縄を語りたがる人が多いが、もし、戦火にであったら一目散に逃げてしまうタイプが多いような気がする。

➡️ジェームズ・コバーン主演の「戦争のはらわた」という作品など、そういう観点で戦争の本質を描いている。別に、その話が出てきたわけではありませんが、ふと思い出しただけです。




大戦末期、太平洋の日本軍拠点を陥落させてきた連合軍はついに沖縄へと上陸。軍は沖縄防衛とともに、住民への戦闘参加を強いていく。そこで暗躍したのは陸軍中野学校出身者=スパイ教育を受けた

陸軍エリートの中のエリート達であった。彼らは一般人からみると人格者であり有能な指導者に見える者ばかりであった。少年兵達を指揮したり、一般人達の懐に入り

言葉巧みに利用してゆく。しかし、多くの少年、一般人を死へ追い込みながらも、自分らは然したる咎めもなく終戦後を平然と生きぬいていった者が殆んどである。

➡️といっても作品に実名で出てきたのは3人だけであるが、、、


 実際、作品をみると非常に冷徹かつ非情なことを淡々と行っている➡️それは、軍の方針に従っただけだし、残虐な行為があったとしても戦時であるからの免罪符もあるのだろう。結局、同じ日本国の国民に対してのことは戦争犠牲者で済ませることができるのだと自分は解釈した。もしこれが対戦国の捕虜に対するものだとしたら

戦争犯罪者として裁かれたかもしれない。実際、同じように日本軍の方針で、単なる上官命令に従って(要は断れない)残虐行為に加担したために戦犯として裁かれた者も多いだろうに


 この中野学校出身の人達は、大日本帝国のスパイとして沖縄に住む市井の人々を陥れた。日本国への上陸をせめて沖縄で食い止めるためであろうが、具体的理由の一つとして米英の連合軍のスパイになる住民がでないように見張るということもあった!自分の穿った見方かもしれないが、おそらく本土人に対してならそのような疑惑は持たなかったのではないだろうか、沖縄人だからこそのものだったのではないのだろうか?

今の時代の多くの日本人にも通じるような発想というか、現代はそこまでは思わないだろうが、犠牲を強いてきたことへの後ろめたさからくるものではないだろうか


 戦争とはそのようなものだ。国を守る為なら国民の犠牲はやむを得ないということだろう。


繰り返していうが、この人達はエリートであり人格者でもあった。

それだから、その役目を担うことになったのだろう。戦争の本質とはそんなものだと思う。それは、戦時に入ってからのことであり、

実際に戦争を防ぐということはけっして許されない大きな何かが存在するのも事実でしょう。➡️自分は別に今流行りの陰謀主義者ではありませんので(笑