生きる | 温故知新 YEBISU NOTE

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黒沢明監督の「生きる」の話しではない!


2011年3月11日の大震災

地震の直後に起こった津波により

大川小学校の児童74名、教職員10名が犠牲になった。



その当日、校長は不在で難を逃れ、教務主任と生徒4名のみが生き残った、、


地震から津波がくるまで40分、、

小学校の直ぐ裏には山があった。

40分という時間が安全な場所に避難するには短い!というのではなく、全員が裏山に避難して安全を確保するには40分という時間は十分だったはずであると考える方が

自然過ぎるはずなのに、、、


何故、わざわざ、その反対方向に避難しようとしたのか?


当の教務主任、校長、石巻市長、石巻の教育委員会、、、


誰もが責任逃れに終始しているようにみえる。


この災害、確かに天災があった。

しかし、地震が来れば津波は来る!それに備えねばならぬことは判っていたようなのだが、なぜか非常に不可解な行動をとっているのは何故なのか?


 観ている者の脳内も色々な思考が交錯する、


 このとき、雪が山にあったのだろうか?それならば、低学年の児童もいるし、登ること自体危険だったのかもしれない、、、


 児童だけでなく、教職員の方々も多く亡くなっている。この中でただ一人生き残った教務主任と、やはり生き残った4人の児童の話しを聴かねば真実は見えない。


 保護者説明会に、教務主任は出席した。既に保護者の間では、何故裏山に避難しなかったのか?

他の小中学校では、大川小学校のような被害はでていない。→大川小で児童74名、教員10名の犠牲者に対して、他の全小中学校での犠牲者が1名。

この二点のことが、我が子を失った保護者の脳内を支配している。

それだから、この場で、罵声が飛び交うのはやむを得ないかもしれない。しかし、当事者の教務主任もこの場に出てくるのは非常に辛かったと思う。保護者の前で説明しようとしたのは立派だ。だが、どこかしっくりこない。何かを隠してるような感じがする。同席した校長も市や県の担当者(教育委員会)も同様。何かをうやむやにして進めようとしている。


 生存者の5年生児童が、6年生男子がふたりほど、「津波が来るし山に逃げるべきだ」と進言したと言う。それに対して、教育委員会は、そのような事はなかったと

言う。➡️(教職員で唯一生き残った教務主任は、最初から裏山に逃げるべきだ!と考えていたのではないかと思えるような言動が伺われた)➡️その辺りが、論点の一つなのか?

教育委員会は、犠牲者が多数でたことの責任の所在をはっきりさせないようにしてるようにさえみえてくる。


これでは、、、と裁判に訴えることになっていく。ただ、今回の場合、賠償として、子供の命に値段をつけるような形式にしないと裁判は受け入れられない。


 保護者の中でも裁判に訴えることに対しては、躊躇する者も現れる。そのことが、保護者間でも分断を生み出す、、、


さらには、全く関係のない、その土地にもゆかりのない者が、原告になった保護者を脅迫したり、、→我が国にも、救いようのないアホがいるものだ(怒👊)


原告の保護者たちは、ふたりの弁護士の力をかりながら、多数の犠牲者がでた責任が行政側にあることを認めさせる。この裁判の過程で裁判官が、真摯な態度に見えない被告側=石巻市、宮城県の態度を諌める場面もあったとか、、


この裁判に訴える過程であるが、責任の所在を明確にして追求するとかではない。児童だけでなく、多くの教職員も命を失っている。

原告側の思いは、「何故、自分たちの子供が死ななくてはならなかったのか?」その真実が知りたい。自治体側は、「天災だから仕方なかった」の一点で押しきろうとしているようにみえる。


何故、安全な場所にむかわなかったのか???➡️どういう過程でわざわざ危険な方向に向かったのか

??  →原告となった、保護者達の尽力により、裏山に逃げていたら、誰もが命を失うことはなかったし、その時間は十分にあったはずだ!!ということは証明された。→個人的には、その時の積雪量によっては、山への避難を躊躇することもあり得るような気もしたのだが、勿論、そのあたりを考慮した上での判決だろう。(つまり、積雪はあったが、津波の回避と言う意味では、山に逃げた方が絶対安全であったとの結論だろう)→被告側の県や市もその事に早くから気づいていたのだがそれをうやむやにして事を済ませようとしていたのではないのかと思えてくる。そうだとすれば、1000年に一度の天災。犠牲者がでても仕方がないなどとは言ってはいられない。被告として対峙した、地方自治体、教育委員会は体面を保つことに終始し続けていたようにも見えた。→個人的に思うのは、組織というものはその組織を守るために動くものではあるが、特に、公務員、教員というのは、前例がないことに対応するのは極端に苦手としているのではないかと思えてくる。→個人的に、以前からそう思ってはいたが、この作品をみてやっぱりな!などとやや不謹慎に思った。 


 天災があったのは事実であるが、犠牲者が出たのは人災であることを認めさせてしまった。→

そんな裁判だから、原告側も心苦しいところはあっただろう。

判断ミスが大きな悲劇を呼ぶことは誰にでもあり得る。それに対する確かな検証や真摯な態度がなければ前には進めない。結果的に賠償責任裁判と言うかたちになったが、原告になった保護者の方々は

賠償金を勝ち取ることが目的ではなく、なぜ、多数の犠牲者が出たのか?そのことを検証しようとせず、保護者の質問に対してのらりくらりとかわすような態度に業を煮やしたからだろう。また、ラスト近くで、その日、校舎から校庭に集まった教職員や児童たちの間でどういう会話が繰り広げられたのか?もはや、知るべしもないのだが、一つ気になることがある。

震災後、教務主任は校長にメールを送ったらしいが、校長は削除していた。メールを送った事実など当事者が告白しないと判らないし、その内容は、当日の様子を書いたものではなかったのだろうか?そうだとすると、教務主任も必死の思いで託したのではないだろうか?だとすると、送った本人に内容を問うこともできるだろうが、この人をこれ以上責めるのも酷だろう、、、

さらに、当日の様子を想像するヒントになるようなことが、ある保護者の口から語られた。それをどう解釈するかは、観るもの次第。

→というか、メールの内容など自分が勝手に想像しただけのものであるが、その保護者の口から発せられたことは、他の保護者たちの全てが思っていることではないかと思える。→これも俺がかってに

そう感じてるだけ、、(笑

 

気持ちが苦しくなることもあったが、観て良かったし、多くの人に観て欲しい作品である。  合掌




ドキュメンタリーの大筋とは、全く関係のないことだが

子供を失った保護者の方々が、子供のことを語る場面がいくつかあったが、「頭の良い子で、怒られそうになるとその場にいなかった」あるいは「頭の良い子で、いつも人を怒らせないようにしていた」そういうことを語った保護者の方が
ふたりもいた、、、
確かに、場の空気を読んだり、気を配ることは大事だし、そういう資質も「頭の良い子」といえるであろうが、、今まであまりそういう発想をしなかったので、ウーン、そうかもねなどと思ったw