遠くで汽笛を聞きながら | 温故知新 YEBISU NOTE

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悩み続けた日々が
まるで嘘のように
忘れられる時が
来るまで心を閉じたまま
暮らしてゆこう
遠くで汽笛を聞きながら
なにもいいことがなかった
この街で

俺を見捨てた人を
恨んでいきるより
幼い心に秘めた
むなしい涙の捨て場所を
さがしてみたい
遠くで汽笛を聞きながら
なにもいいことがなかった
この街で

せめて一夜の夢と
泣いてなき明かして
自分の言葉にうそは
つくまい人を裏切るまい
生きてゆきたい
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかった
この街で

作詞 谷村新司
作曲 堀内孝雄

この曲が世にでたのは、1976年か77年だと思う。結構、当時から話題になっていたはずであるが、
アリスのシングル曲としては、そんなに売れてない。アリスというグループが「冬の稲妻」で大ブレークする直前だと思う。
 その後、アリスがヒット曲を連発するなかで、隠れた名曲的なに根強い人気を保っている。 YouTubeでこの曲を検索すると、最近の若い歌手も含めて、様々な歌手によってカバーされているところからもその人気が判る。

 ところで、敢えて歌詞を書いたのは、この歌詞の意味について思うところを書いてみたくなったのだ。この曲の汽笛は汽車の汽笛という説が多い、実際、シングルかアルバムの写真では鉄道が映しだされているようだ。

しかし、作詞の谷村新司は船の汽笛を意識して書いたらしい。そういえば、この歌の歌詞だが、非常に物悲しくはあるのだが、その哀愁感は地方よりも大都市に似合うような気がする。ここで言いたいのは、大都市と汽車というのは?ということである。それに対して「港」は地方にも大都市にもある。あくまで俺の持論であるが「東京」をテーマにした昭和歌謡の曲は、大都会に憧れて上京したが、仕事や人間関係に馴染めず辛酸を舐めたというテーマの曲も多い。この曲の歌詞は、男女間の葛藤というよりも、社会の壁にぶち当たったのだが、それでも自分はここで生きてゆく!という、挫折感もあるのだが、それでも微かな希望を捨てずにやっていこうという自分自身への応援歌に思える。堀内孝雄の哀愁を帯びたメロディ同様、歌詞にも哀愁感が漂うが、実際は詞・曲とも再起を心に秘める希望も感じられる。



  1月2日 国立競技場
 大学ラグビー選手権準決勝
 明治大学52vs30京都産業大学

我が母校は、三年連続準決勝進出
準決勝進出は通算10回目、しかし、いずれもそこで敗退、、、本年はその前の準々決勝で早稲田に大勝してるし、鬼門突破の可能性はある!と思ってたのだが、対抗戦の強豪の壁は厚かった、
今年の明治は強い‼️

本年も決勝進出は叶わなかったのだが日本一の練習量をこなしてきた強靭な肉体と精神は、観るものに充分に伝わった!「来年こそは、、

リベンジにかける思いは、「遠くで汽笛を聞きながら」の歌詞に通じるものがあるのではないだろうか?作曲の堀内孝雄は京産大出身でもある。→これはこじつけw