昔の記憶 | 出資馬たちのつれづれ ~ 2回めのGI/JpnI制覇を目指して!

出資馬たちのつれづれ ~ 2回めのGI/JpnI制覇を目指して!

ひとくち出資している仔たちに関して、気が向いたときに更新してみます。
全く更新がなくなったら、飽きてしまったのか、すっかり忘れているのか・・・?

元日に発生した震災は、その後の状況などが連日報道されていますが、時期が近いこともあって、95年当時の経験を自然に思い出そうとすることが何度もあります。

 

前日の1月16日は、成人の日の振り替え休日で、京都競馬場ではビワハヤヒデ号の引退式があったような記憶。

年明けから間がなかった時期の連休明けとなるので、「あぁ、また仕事が始まるなぁ」などと思いながらベッドに入ったのだろうと想像しますけれども、さすがにそういった記憶はないです。

最初に目が覚めた時は、まだ周囲が真っ暗で、外から新聞配達であろうバイク音だったり、牛乳瓶がガチャガチャとぶつかるような音が聞こえたので「4時ぐらいかなぁ」と思って、もうひと眠りについたはず。記憶では。

あ、当時はまだ牛乳配達というサービスが日常だったんだな…と、久しぶりに思い出しました。ニコニコ

で、次には、久しぶりの地震発生で強制的に起こされるわけですが、おそらく震度3ぐらいの体感で終息に向かうような流れになり、「結構大きい地震やったな…」と頭の中で呟いている途中に本震が到達したようで、現実とは思えないようなレベルの揺れと、家具が倒れたりガラスが割れたりする音が色んな場所から聞こえてきたりと、「天井が落ちてこないでくれ」と祈りながら布団の中に頭まで入れて、揺れが治まるまで体を小さくしていた記憶。

2階建ての2階で寝ていましたが、どちらかというと、天井が落ちてくるのではなく、1階がつぶれて落下するケースの方が圧倒的に多いのだろうということは、当時、知識としてはなかったですね。

その後の、各大地震での報道映像で認識が変わった次第です。

活断層型の地震では、複数個所の活断層が同時期に動くことがあるというような話も聞きますので、ひょっとしたら、最初の「体感震度3程度」の揺れが震源地起源の揺れで、これに影響されて近くの活断層が動いての揺れがのちに「推定震度7」と発表された大きな揺れだったのではないだろうか…と、素人考えながら最近思ってしまうような体験でした。

当時は、寝ぼけ半分での体験でしたが、今回の地震は、年明けを祝う方も多かったであろう状況での夕方で、自分が体験したよりもかなりの恐怖感を感じたのではないかと、これは想像でしかないですね。

 

それからの記憶は、断片的に残っていますけれども、「あれ、当時のこの時期はどうしてたっけ?」と思い出そうとしても、具体的なものは既に思い出せないですね。キョロキョロ

 

一方、Windows95が発売となって、のちにインターネット元年といわれるのは、この年の後半以降でしたから、当時、出資権利馬の最新情報を得るのは、もっぱらテレホンサービスでした。

情報更新時刻になると、黒電話の前に座って、権利所有馬の順番が回ってくるのを、「まだかまだか」とじれったさも感じながら聞いていたような記憶。

さすがに、家族共用の電話を長時間独占するのは申し訳なさもあったので、震災後の自宅建て替え時には、自分専用の電話回線を追加してもらって、自分が契約者になっていましたね。

今はとにかく便利だなぁ…と、改めて実感します。照れ

 

権利所有馬でいえば、95年産は当たり年だったようで、「タイキレッド」号、「ヒダカプロテクター」号、「リアルビジョン」号と、全て別のクラブさんでしたが、今でも強く記憶に残るレースを見せてくれた仔が3頭も生まれた世代でした。

3頭とも、当時はかなりの期待を感じさせてくれたんですよね…。

もう一度ぐらい、こんな充実した世代を体験してみたいものです。ウインク