屋上で耐えた、津波の恐ろしさ | 乖離のぶろぐ(*´∀`)吸い込んで応援
(゚ω゚)軽自動車の車ごと流されて助かった人はテレビで見たけど
(゚ω゚)この人は見てなかったなぁ・・

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「津波の恐ろしさ」と「街の面影」を伝える男性を追いました。(岩手14/04/17)
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公開日: 2014/04/17
被災地では2014年度、かさ上げをともなう街づくりが本格化しています。
こうした中、岩手・陸前高田市のかさ上げ地域にある商店が、「街を思い出す道しるべ」となっています。
「津波の恐ろしさ」と「街の面影」を伝える男性を追いました。
津波で、大きな被害を受けた陸前高田市では、市内を埋め尽くしていた、がれきがなくなった。
「本格復興」と位置づけられる2014年度。
市街地に8メートルの土を盛るかさ上げ工事が始まり、被災した建物の姿はほとんどなくなった。
陸前高田市民は、「かさ上げしたら道路の位置も変わるので、(街の)面影はなくなる」、「息子夫婦が帰ってこない、朝晩歩いている。夜になると迷う」などと話した。
震災発生から3年を迎えようとしていた3月9日。
市の追悼式には、多くの遺族や関係者が参加し、亡くなった人を悼んだ。
この日、荒れ放題になった市街地で、枯れ草を刈る男性に出会った。
自宅のあった場所を丁寧に掃除する米沢祐一さんは、この場所が2015年には、かさ上げされ、土で埋まってしまうと教えてくれた。
米沢さんは「来年の命日には、草刈りもできなくなる。3年たつと、少しずつ忘れていく」と話した。
思い出を心に刻む米沢さんが、更地になった街で、目印としている建物があった。
後日、米沢さんにその建物について説明してもらった。
米沢さんは、この建物で包装資材などを販売する店を営んでいた。
米沢さんは「防災無線で『津波が越えた』と聞いた。市民会館に逃げようと思ったが、この建物の方が近かった」と話した。
米沢さんが建物に逃げ込んだころ、市内には津波の第1波が到達した。
ものすごいスピードで迫る津波に危険を感じた米沢さんは、急いで屋上に駆け上がった。
津波が次々と押し寄せる屋上で、必死に助けを待った米沢さんは、丸1日たって、自衛隊のヘリで救助された。
震災直後、がれきの中から思い出の品を探していた米沢さん。
米沢さんは、両親と弟を津波で亡くした。
自宅も流され、形として残ったものは、傷だらけの店だけだった。
米沢さんは「自分は建物に助けられた」と話した。
幸い、建物は倒壊の危険がないと診断され、米沢さんは保存する決意をした。
米沢さんは、自らの経験を伝える活動を始め、3年間で1,000人以上が屋上にのぼり、津波の恐ろしさを学んだ。
一方、街づくりが進む被災地では、津波の恐ろしさを伝えてきた建物の取り壊しが進んでいる。
現在、陸前高田市の中心部だった場所には、米沢さんの店しか残っていない。
復興庁は2013年11月、震災遺構の保存費用を支援する方針を示した。
現在、保存を検討されているのは、4つの市町村にある9つの震災遺構。
このうち田野畑村の防潮堤、宮古市のたろう観光ホテル、大槌町の旧大槌町役場の一部は、保存がほぼ決まった。
このほかにも、大船渡市では、津波到達時間を示した時計や過去の津波を伝える石。
陸前高田市では、道の駅や中学校など、4つの建物の保存を検討しているが、支援を受けられるのは、各自治体1カ所まで。
維持管理のために自治体の負担も大きくなる震災遺構の保存。
民間レベルで保存を考える米沢さんにも、将来、維持するための費用が負担になるおそれもある。
仮設の店で商売を再開した米沢さんだが、最近、心にある変化が生まれた。
訪れる客との間で交わされる震災前の街並みの話。
津波の恐ろしさだけを伝えてきた自分の店が、町を思い出すきっかけになっていることを実感し、建物を残そうとする強い信念となっている。
米沢さんは「新しい街ができても、前に住んでいた町並みや、亡くなった人たちを忘れないようにしたい気持ちは強い」と話した。
市は、米沢さんの店があった土地の具体的な活用計画を示していないが、保存には、柔軟な姿勢を見せている。
新しい街がつくられようとする中で、唯一残った米沢さんの店は、昔の街並みを思い出す「道しるべ」として、地域の人の心のよりどころになっていくのかもしれない。