空海が、
「金山権現に出会い、耶蘇(キリスト)の地だから十一面観音、阿弥陀如来・愛染明王を安置した」と、あり、なぜこの3佛なのか、探検しています。
空海が感じた耶蘇の地
耶蘇の地
八十場のところてん屋さんから金山を登ったところに在ります。車だとほぼ山の裏側(北西)から戸建て団地を通って登った突き当たりの石の門(私有地)を通った森の先です。(やや勇気が必要)
空海が耶蘇の地と感じた場所にある 。
醍醐寺が管理されている瑠璃光寺、元の金華山妙成就寺摩尼珠院とされる。
※管理は、空海が中興した場所にある79番札所の天皇寺や白峯宮ではないことは意味があるのでは。
①の探検では、
行基が建立・空海が中興の金山摩尼珠院は、十一面観音を安置して阿波女の天照大神を、阿弥陀を安置して天照の下にいた女性を祀った。
阿修羅とは、修羅場の生きとし生けるものを救い導き、利益を与える仏であり、十一面観音は、その阿修羅をサポートして修羅場に置かれたみなさんを導く仏ということと妄想しました。
阿修羅を観音様がサポートしている。
では、愛染明王とはなんぞや?!とのことでした。
愛染明王(あいぜんみょうおう)
仏教の信仰対象で、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王の一つ。愛染王とも。
金剛薩埵の化身で、通常は17尊、時に37尊を眷属とする。
人間の愛欲煩悩を浄化しそれを菩提心(さとりをもとめる心)に変え、人の和合(なかよくすること)や争いを鎮めるための明王。
赤い日輪をを表わす光背を背に、宝瓶の上に置いた蓮華座に坐り、6本の腕を持つ一面三目六臂像で、体は愛欲を表わすという赤色に彩られ、逆立った髪に獅子冠をのせている。
持物は五鈷杵、五鈷鈴、弓、矢、剣などです。
金剛薩埵(こんごうさった)
中期密教においては大日如来の教えを受けた菩薩。後期密教においては、法身普賢(普賢王如来)、持金剛と並んで本初仏(原初仏)へと昇格した。真言密教の付法の八祖の第二祖。
(真言宗八祖の一つで、付法を相承した八人の祖師をいう。大日如来・金剛薩埵・龍樹・龍智・金剛智・不空・恵果・空海で、これに対し、龍樹・龍智・金剛智・不空・善無畏・一行・恵果・空海の八人を伝持八祖という)
三昧耶形は金剛杵(金剛界曼荼羅では五鈷杵、胎蔵曼荼羅では三鈷杵)。
種字はバン。
金剛薩埵(愛染明王)は大日如来の教えを受けた菩薩
=天照大神の教えを受けた者
不動明王と愛染明王の両尊を祀る形式は、1338年頃に成立した文観の『三尊合行秘次第』に始まるとされているようです。
つまり、不動明王と愛染明王はセットと考えた方がいいのか
文観房弘真(もんかんぼう こうしん)
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての真言律僧・真言僧・学僧・画僧。房号は文観、法諱は律僧としては殊音、密教僧としては弘真。尊称は文観上人で法験無双・祖師再生とも称された。
正法務・大僧正・第120代東寺一長者・第64代醍醐寺座主。また、南朝における大僧正・第3代東寺座主・第66代醍醐寺座主。
学僧としては、吉野に隠棲した後に密教の実践書である事相書を著し、仏・菩薩・明王などの高位の三つの尊格を合わせて修法(祈祷)を行う「三尊合行法」の理論を完成させた。
醍醐寺三宝院流を始めとする真言密教で用いられる各種の尊格に不動明王と愛染明王を脇侍としたものを本尊とする「一仏二明王」という形式は、文観の三尊合行法に基づき、宗教学者の阿部泰郎は、この行法は中世密教の最高到達点としており、文観を「儀礼と図像を統合する術に長けた天才的な師範」と評している。
この文観の『三尊合行秘次第』に始まるとする説に基づくと、807年に空海が開基したと伝わる円光寺・明王院(広島県福山市)。1348年に建立された境内の五重塔(国宝)は、初層に大日如来を本尊として左右に不動明王と愛染明王を祀っている、日本における初期の例。
ただし、文観自身はこの書を書写したとしている。
『三尊合行秘次第』の本尊となる如意宝珠は特殊な形をしていて「密観宝珠」とも呼ばれ、如意宝珠形の下に五鈷杵を配した舎利塔に仏舎利を入れたものであるところから、密教の事相上ではこれを、如意輪観音の三昧耶形であるとして空海の直弟子に当る観心寺の檜尾僧都実恵(佐伯氏、讃岐香川県丸亀市本島の出身で空海の一族)や、醍醐寺の開祖理源大師聖宝(讃岐香川県坂出市沙弥島出身、醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖)の口伝にまで遡ろうとする考え方もある。
如意輪観音像
原則として全て坐像または半跏像で、立像はまず見かけない。片膝を立てて座る六臂の像が多い。
六臂像は6本の手のうちの2本に、尊名の由来である如意宝珠と法輪とを持っている。
無量寿院跡と探検した観興寺にて
西国札所である滋賀県の園城寺(三井寺)、兵庫・神呪寺像、観音堂本尊像、奈良・室生寺本堂像、京都・醍醐寺像などはいずれも観心寺像と同様の六臂像である。
六臂像といえば、三面六臂の阿修羅を思います。
三昧耶形(さんまやぎょう/さまやぎょう)
密教に於いて、仏を表す象徴物の事。三形(さんぎょう)とも略称する。
ちなみに三昧耶とはサンスクリットで「約束」、「契約」などを意味するサマヤから転じた言葉で、仏をどの象徴物で表すかが経典により予め「取り決められている」事に由来する。
伝統的には如来や菩薩などの仏の本誓、即ち衆生を救済するために起こした誓願を示したものと定義されている。
多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる。 例えば不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華、虚空蔵菩薩なら如意宝珠など。
また、通常持物を持たない如来の場合は特別の象徴物が三昧耶形とされる場合もあるが(大日如来が宝塔など)、印相を以て三昧耶形とする場合もある。
曼荼羅などの仏画では、仏の絵姿の代わりに三昧耶形で描く事も多い。よく知られている例としては、金剛界曼荼羅の三昧耶会と降三世三昧耶会がある。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
三昧耶形は宝剣、如意宝珠。種字はタラーク 。
真言は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」や、「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」
これは、空海が100万遍唱えたとのこと。
「虚空蔵」は「虚空の母胎」の意で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味。
空海が高知県室戸岬の洞窟、御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。
また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」という行事が行われている。
像容は、右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つものや、法界定印の掌中に五輪塔を持つもの、右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の印相とし左手に如意宝珠を持つものなどがある。
三つ目の像容は求聞持法の本尊で、東京国立博物館蔵の国宝の画像はこれに当たる。
彫像の代表例としては、奈良県大和郡山市・額安寺像、京都市・広隆寺講堂像などが挙げられる。 奈良県斑鳩町・法輪寺の木造虚空蔵菩薩立像は7世紀にさかのぼる古像だが、当初から虚空蔵菩薩と呼ばれていたかどうかは定かでない。また、法隆寺の百済観音像は、宝冠が見つかる明治時代前半までは墨蹟銘から「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。
ついでで、ごめん、相模坊さん
今でも、崇徳院を慰めている
ところで、
空海も佐伯で、小野も鰐氏だよね 🐊
愛染明王の意味は、人間がもっている愛欲をむさぼる心”愛欲貪染”(とんぜん)を金剛薩埵の浄菩提心の境地”三昧”(さんまい)にまで高めた状態、煩悩即菩提のことで人の煩悩も仏の悟りの智慧(ちえ)に等しい意味。
通常は日輪を光背にした四臂像あるいは六臂像が多いが、両界曼荼羅中にはない。
『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうほうろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』によると、六臂像は身色が赤く、三目で、頭上に獅子冠(ししかん)、天帯(横帯)をつける。持物(じもつ)は左第一手は拳(こぶし)(儀軌には「彼」と記す)、第二手は五鈷杵(ごこしょ)、第三手は金剛弓(箭(や))、右第一手は蓮華(れんげ)、第二手は五鈷杵、第三手は金剛箭。像は宝瓶(ほうびょう)上にある赤色の蓮台(れんだい)に結跏趺坐(けっかふざ)する。
妄想で、整理しちゃいますと、
空海は、耶蘇の地だから十一面観音、阿弥陀如来・愛染明王を安置した。
①の探検では、
十一面観音=阿波女の天照大神
阿弥陀=天照の下にいた者
なので一体で考えるべきかな。
愛染明王(金剛薩埵)は、大日如来の教えを受けた菩薩であり、人の愛の智慧で不動明王とともに本尊の大日如来を補佐している明王。
十一面観音様と阿弥陀様が中心だな。
大日如来(天照大神)の脇に愛染明王様はいらっしゃる。
では、不動明王さんはいずこ?
愛染明王の場合、特殊ではあるが如意宝珠を持つので、虚空蔵菩薩と同じ三昧耶(契約)をあらわす。
身は阿修羅と同じ赤い身で六臂。
特殊な如意宝珠とはいえ、如意宝珠を持つのは虚空蔵菩薩と共通。
虚空蔵求聞持法を修したといえば空海。
脇にそれると、法輪寺では、13歳になったら虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」があり、「13」は意味深。
「虚空蔵」は「虚空の母胎」の意。
お四国さん結願寺の大窪寺裏山「女体山」中腹にある弘法大師空海が21日間の求聞持法の修行をした場所、奥の院「胎蔵峯寺」(元は薬師如来、現在は阿弥陀如来)を思います。
その場所の意味は、妄想ではスサノオの母イザナミ(もしくは母的な女性)でした。
これが、天照大神なら不動明王と愛染明王が補佐しているということか!?
飛躍して、三目が三面なら三面六臂で朱色の阿修羅。
先の記事①では阿修羅=十一面観音=天照大神だった。
でも三目なので、ここでは愛染明王も天照大神の下でいた者か
如意宝珠は「契約」の意。
天照との契約で宝珠って?
不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)が契約を表すもの。
「宝」と「剣」
はい?呼びました。と言ったか言わんかしらんが、
剣に巻きつく龍の倶利伽羅不動
(無量寿院にて激写)
十一面観音(大日如来=天照大神)の脇に阿弥陀如来(天照の下にいた者)・愛染明王(天照の下にいた者)の図式。
じゃ、不動明王は配置されてないのでは?
開基した行基は、本尊に薬師如来を安置したとあった。
すると、その左右に不動明王と愛染明王を配する形式「三尊合行法」(一仏二明王)ではなく、十一面観音=大日如来=天照大神とその下についていた者を祀ったと言うことか。
空海は、行基が安置した薬師如来を本尊に、十一面観音、阿弥陀如来、愛染明王を祀った。
言い換えると、
薬師如来の脇に、天照とその2人の付き人の構図。
一仏二明王の形式ではない!
散々、文観の三尊合行法に基づいていると思いこみ、この行法は中世密教の最高到達点だ!と盛り上がってしまった。
不動明王は関係ないやん!
胎蔵峯寺が、元、薬師如来で現在、阿弥陀如来を祀るのと似てる。
薬師如来とは何者?
謎が残る!
終わらんじゃないか!
(憤怒の姿で薬師如来の謎を探検か?)
では、この辺で、ごきげんようさようなら。
また会いましょう。