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やるせない読書日記

書評を中心に映画・音楽評・散歩などの身辺雑記
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 図書館で偶然、見つけて読んだ本。三島由紀夫は

 

新潮社で随分、昔に上梓された古い全集とさらに

 

増巻された全集が出版されているが、このアンソロジー

 

は「婦人公論」や「主婦の友」など中央公論の書籍に掲載

 

分を集めたもの。

 

 女優やタレントとの対談と、円地文子、杉村春子などに

 

よる追悼文、三島由紀夫のエッセィを数編、掲載している。

 

その他、若手作家による三島作品のあんまり切れのない解説

 

もある。

 

 対談は岸田今日子、高峰秀子、石井好子、有吉佐和子、

 

越路吹雪、吉村真理、十七代中村勘三郎。対談に女方が

 

入ってるのもご愛敬か。

 

 興味深かったのは二つ。

 

 三島由紀夫の母親・平岡倭文重の料理についての

 

文章が掲載されている。「婦人公論」1952年8月号掲載。

 

「わが家の食卓」というエッセィ。二編で構成され、

 

倭文重は「香りと色と」、三島由紀夫が「母の料理」

 

という短いエッセィ。

 

 きりっとして、上品な如何にも山の手(もはや死語)

 

の奥様のレシピが並んでいる。

 

 ★葉山葵の甘酢。山葵の葉を茎のまま熱湯にくぐらせ

 

  五分にきざみ、塩、砂糖、酢を塩梅して四、五日

 

  瓶に漬け込む。ピリッとしゃれた味。

 

 ★豚の肩ロース二百匁を三時間くらい茹でて油を

 

  抜いてから、よくもみほぐして砂糖醤油でカラカラ

 

  に炒ったでんぶはお弁当向き。

 

 簡潔でいい文章で、さすが文豪の母である。

 

 聡明な女は料理が上手い、という言葉を思い出す。

 

 三島由紀夫は母親についての文章があまりない。

 

谷崎潤一郎のような母恋い物はなかったと思う。

 

 母親の料理で思い出されるのは、「豊穣の海」

 

第四巻「天人五衰」で、転生の観照者、本多繫邦

 

が母親の料理を回想する場面がある。いつもの

 

三島由紀夫の作品から外れて、本多の回想は

 

三島由紀夫、というよりも平岡公威の実体験と

 

言っていいだろう。設定は1971年、本多繁邦

 

76歳の老境である。

 

 夢のほうが愉しく、光彩に充ち、人生よりも

 

はるかに生きる喜びに溢れていた。だんだん幼児

 

の夢や少年時代の夢を見ることが多くなった。

 

 若かったころの母が、或る雪の日に、作ってく

 

れたホット・ケーキの味をも、夢が思い出させた。

 

(略)

 

 改築を重ねたこの邸にはもはや古い茶の間は

 

残っていない。ともあれ、学習院中等科五年の

 

本多は、多分、その日が土曜日で、学校のかえり

 

に、校内の官舎にいる或る先生のところへ友達

 

と二人で話を聞きに行ったあと、ふりしきる

 

雪の中を、傘もなしに腹を空かせて帰ってきた

 

のである。

 

 いつもの内玄関から入らず、庭に回り雪の

 

積もり具合を見る。障子越しに母親の姿を見ると

 

心が弾んだ。

 

 「おや、おかえり。お腹がお好きだろう。雪を

 

よく掃ってお入り」

 

 と立ってきた母は寒そうに袂を胸に合わせて

 

言った。外套を脱いで、炬燵にすべりこむと

 

母は長火鉢の火を、何か考え深そうな目つき

 

で吹きたてて,おくれ毛を火の粉から守って

 

かいやりながら、吹く息の合間にこう言った。

 

「チョッとお待ち。おいしいものを作ってあ

 

げるから」

 

 そして母は、小ぶりのフライパンを火鉢に

 

かけ、新聞紙に浸した油で隅々まで潤した

 

末、彼の帰宅を待って作ったらしいホット・

 

ケーキの白い粒だった乳液を、はや煮立つ

 

ている油のうえへ、巧みな丸を描いて注いだ。

 

 本多が夢にたびたび想起するのは、そのとき

 

のホットケーキの忘れられぬ旨さである。

 

 この出来事を本多繁邦・平岡公威は一生に

 

渡って夢で思い起こすのである。文学が行きつく

 

のは大それたことではなく、只の母恋かもし

 

れない。

 

 それともう一つ、三島由紀夫のゲイについて

 

であるが、フロイトの何かの著作で母親に対する

 

過度な執着が男をゲイに仕向けるような事が書いて

 

あった。70年頃、イタリアの映画監督パゾリーニが

 

いたが、パゾリーニはゲイで有名で、母親に対する

 

を偏愛を表明していたので、ゲイの成立には母親

 

への固着が因子となっていると思い込んでいた。

 

パゾリーニには母親に対する近親相姦願望の詩ま

 

であったと思う。

 

 だが、三島由紀夫の作品には母親を主題とした

 

作品などないし、フロイトの説が一概に正しいと

 

も言えないらしい。

 

 なんだが、「三島由紀夫の青年時代」というエッセィ

 

を湯浅あつ子(この人も三島由紀夫の文学に重要な人

 

だが)書いているが以下のような件がある。

 

 三島由紀夫の文学志望を父親の梓が嫌い、

 

抑圧したが、母親の倭文重が三島由紀夫の

 

小説家への途を後押しした。そのことを三島

 

は非常に感謝していた。

 

 父梓氏が折れてから、晴れて大っぴらに

 

原稿用紙を机上にひろげることができた彼

 

は、どれほどうれしく、どのくらい陰で

 

力になりとおした慈母倭文重に感謝した

 

ことだろう。

 

 その感謝の仕方が常人とはかけ離れて変

 

だ。

 

 「公威(こうい)さん、おかあちゃま足

 

がいたい」というと、彼は、その痛む箇所

 

を、私の前でも平気でペロペロなめたりした。

 

 文豪はやることが違う。これで、人が見て

 

いない所だったら、何すんのさ。