難しい本だったが、無理して読んだ。内容
はよく分からないところが、あったが、著者
の無理矢理とも思える、まとめが効いていて
読んでいて面白かった。
この本は、2010年の刊行であるが、多分
今の文芸批評の最先端の状況を呈してると
思う。著者は漱石に関する評論の単行本を
800冊、有し(学者だから読んでるのだろう)
800冊は漱石に関する評論の八割。その他
論文などは無尽蔵にあるという。だが、その
ほとんどが紙くず同然の役に立たないものだ
と言う。
でまあ、俺なんかの世代は、評論家と言ったら
小林秀雄。今の評論のように多分、難しい思想
を用いて解釈するというのとは違い。本を
読んで、評論する小林秀雄の存在が肝要で
あったと思う。まあ、小説を書きたいが、そ
っちには才能がなく評論で代替えという
感じか。
三島由紀夫は多くの評論をものにしたが、
難しい思弁に頼ることなく、レントゲン技師
のように作品を解明した。
なんだが、この本に評論は大学の紀要など
に掲載されたものが多い。大量に発表される
学会の評論ともなれば、単なる印象批評で
済むわけもなく、他の夥しい論文の中で頭
一つ生き残るにはアクロバティックな論考も
出てくると思う。
でまあ、この頃、流行りのAIに石原千秋の
評論の手法をきくと作品をテクストと見做す
やり方だと答えた。
(「石原千秋の文学評論の形式」でaiモードでググれば
でてきます。)
でまあ、文学評論におけるテクストとはなんぞやと
aiに聞くと。(同じく文芸批評におけるテキストとは
を入力すると出てきます)
うーん。難しい。もう、文字という万人共通のツール
を使えば、作品は作者の意図さえ離れて解釈されると
いう考えがすごい。結論として
石原千秋氏はこの「テクスト論」の手法を日本近代文学に
応用し、作者の心理を推測するのではなく、「書かれてい
る言葉がどのような論理で社会や読者と結びついているか」
を緻密に分析するスタイルを確立しました。
という事になるわけだ。
著者は膨大な評論、論文を渉猟し優れた作品を選び、
その評論のスタイルを以下のように分類する。
(略)私は読みの論文や評論をおおまかに四つのパターン
に分けて意義を読み取ることにしている。いま、それを
「坊ちゃん」を例に説明しておこう。
①定説を深める論 つまりは、「ふつうの読み方」
である。『坊ちゃん』なら、真っすぐな性格の正義漢の
江戸っ子が、四国の中学校の権威主義と爽快に戦う
物語で、一種の「大人の童話」のように読むのが一般
的だろう。一方、漱石に寄り添って読めば、当時ま
だ勤務していた東京帝国大学の権威主義や明治政府
の進める近代主義に染まったうっ憤晴らしをした
小説ということになる。
我々、一般人の読み方がまさにこれで、楽しい「大人の
童話」として、ほとんどの人は読んで、それで十分だろう。
だが、論文の場合、著者の好みではないので、本著では
取り上げていない。
②読み換える論 言うまでもなく、定説を読みかえる
論だ。例えば「坊ちゃん」は実は物語の中心人物など
ではなく、物語の中心は四国の中学校で起こっている
赤シャツと山嵐の権力闘争で「坊ちゃん」はそれに
きがつかないまま巻き込まれてしまったにすぎない
という読み換えを行った論文だ。悪い奴と爽快に
戦ったなどという話ではない。
③ 文化的・歴史的背景に位置付ける論
「坊ちゃん」を読めば、「東京/地方」という対立の
図式によって「坊ちゃん」が語っていることは誰
にでもわかる。ところが、登場人物の背景を見て
みると、赤シャツ一派のように明治時代に適応
して生きている人間と会津藩出身の山嵐や元
は旗本だという「坊ちゃん」自身や松山の武士
だったらしいうらなりなど、江戸幕府に味方し
て、明治政府と戦った佐幕派との対立の構造
が見えてくる。そこで「坊ちゃん」を「佐幕
派の文学」と歴史的な文脈の中で位置づけた
論文が現れた。
これは頷ける見解だ。「坊ちゃん」の刊行は
明治39年(1906)漱石は四十歳であり、およそ
四十年前の明治維新は当時の人には遠い過去の
話ではない。
次の④がよく分からなかった。
「
坊ちゃん」の
発刊時に、ああいう男にきちんとした文章が
書けるわけないという批評があった。語り口
を分析して、「坊ちゃん」はもう変節(いつから?)
してしまったことを明らかにした説があるらしい。
という前提で以下の見方が展開される。
よく意味がわからないが、著者はそんなこと
は了解している。
④意味づける論
これは、「坊ちゃん」という人物の変節や
語りの構造を意味づけているので、私は「
意味づける論」と読んでいる。基本的には
「なぜ『坊ちゃん』はこんな風に語れるの
だろうか」という問いに答えている。こう
いう論文を書くには、文学理論に対する
深い理解と分析技術の高い操作能力が求め
られる。このタイプの論文は、文学研究が
一九八〇年代以降に身に着けた重装備の理論
武装による高度な分析の結果可能になったの
で、一般の読者には一番わかりにくく、そし
て屁理屈をこねているように見えやすいタイプ
の論文だ。
一般人の読書感想文なら、①でいいが、大学生
や大学の先生は今や②から④までの形態で批評、
評論を行わなければならない時代であるという
ことなのだろう。
例文は「吾輩は猫である」から「明暗」まで
いっぱい、あるが、自分の頭と相談して一例だ
け。
著者は自著の評論を②型の評論の例として挙げて
いる。「『坊ちゃん』の山の手」(『文学』一九八六・八)
なぜ身勝手で世間知らずな坊ちゃんを日本人は愛する
かという視点に立った評論。そのキィポイントは
下女の清にあるという。坊ちゃんも清も山の手
人種に許された立身出世の夢を共有していた、と
する。
ところが、この女は中々想像の強い女で、あ
なたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか
御庭にぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間
は一つで沢山ですなどと勝手な計画を独りで
並べていた。
坊ちゃんはエリート官僚養成の帝大出ではない
が、物理学校を卒業して、漱石がそうだったように
当時、エリートの一角であった旧制中学校の教師
となった。だが、松山の中学校で立身出世の空虚
な現実を知る。そこで、山の手意識を持ちながら
も立身出世は雲散霧消。代わりに「江戸っ子」という
帰属意識に目覚めることになると著者は言う。
よく分からないが、そんな気もする。
しかし坊ちゃん>は、四国の中学校での体験で
立身出世とはどういうものかを見てしまう。
そこで<坊ちゃん>には、松山に来てから一つ
の自己意識に目覚める。それは自分が江戸っ子
だという自己意識である。東京での出来事を
書いた一章に江戸っ子という言葉がただの
一度も出てこない事実に、この自己意識が
松山に行ってから芽生えたものであること
がよく表れている。
因みに、硬骨漢の山嵐と別れる際にこのよう
な挨拶を交わす。
「君は一体どこの産だ」
「おれは江戸っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強い
と思った」
「君はどこだ」
「僕は会津だ」
「会津っぽか、強情なわけだ」
つまり、「坊ちゃん」は江戸っ子「坊ちゃん」が松山
で活躍する物語ではなく、山の手の立身出世意識から
外れて、江戸っ子を帰属意識にさせられていく物語で
あると結語している。そしてこれは、従来の定型を
破った②型の論文。
うーん。疲れました。訳がわかったような分からない
ような。遠い昔の中学生の頃、ジュニア版で「坊ちゃん」
を読んだことがあり、その時は何も分からなかったが
高校生になって、これは人生うまく行かない人間の物語
ではないかと思った。
また、実母がいたか亡くなったかは覚えていないが
下女の清が母親のイメージを付与されていた。清が
発する「坊ちゃん」という呼びかけが非常に優しく
感じられた。まあ、素人の感想はこんなところだ。