タマラ・ド・レンピッカについて 1 | やるせない読書日記

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 どういう経緯でタマラ・ド・レンピッカを知る

 

ようになったか、覚えていないが、この絵は

 

なんとなく知っていた。

 

 

 

 確か、パルコの宣伝ポスターに使われていた気

 

がするが、よく分からない。最近のイラストレーター

 

がアール・デコ風のタッチで制作したものと思って

 

いたが、タマラ・ド・レンピッカが1929年に描いた

 

自画像なのだ。時にレンピッカは30歳。当時、隆盛して

 

いたアール・デコの女王として名をはせていた。

 

 車を運転する女性は当時では最先端であり、またこの

 

ような自画像は他に例類がない。イラストっぽいのも無理

 

もないこの絵はドイツの婦人誌の表紙を飾った。

 

 画集を買ってみると全く、とんでもない画風だった。

 

 

 

 

 

 生半可の知識がなくても、絵は鑑賞できる。これらの

 

絵から感じるものは自分には例類がないものだった。

 

 美しいが悪意、退廃、冷酷に満ちている。上村松園は

 

芸術とは真善美がそろったものでなければならない

 

と言ったが、レンピッカの絵には真実と美はあっても

 

善はないだろうねえ。

 

 それで、タマラ・ド・レンピッカに興味を持ち、

 

画集の解説や入門程度の本を読んでみた。

 

 ①タマラ・ド・レンピッカ展 

 

  ア、タマラ・ド・レンピッカその生涯と作品 

 

                アラン・ブロンデル

 

  イ、タマラの時代とそのスタイル   海野弘

 

 ②天使たちの恋愛術       井上一馬

 

 ③タマラ・ド・レンピッカ  岩波アート・ライブラリー

 

   タマラ・ド・レンピッカ ジュテファニー・ペンク

 

 三冊しか読んでいないが、いつものようにまとめる

 

のに苦労した。

 

 

 

 タマラ・ド・レンピッカ(1898~1980)はポーランド

 

のワルシャワに生を受ける。母方はポーランドの上流階級

 

父親ボリス・グルシキー、フランス系の会社の弁護士。

 

妹と早世の兄がいた。タマラは遊びや喧嘩のさい、常に

 

中心を占める、意地っ張りで権力欲の強い少女だった。

 

 また、タマラを語るうえで必須であるグレタ・ガルボ

 

と間違えられるほどの美貌を天から与えられていた。

 

 10歳のときに、親に水彩画を習わされるが、じき

 

に先生より上手くなった。ここが、ポイント。レンピッ

 

カは絵に関して天凛の才能があった。この後、継続し

 

て絵の教育は受けていないようだ。

 

 さらに13歳のときにイタリアに旅行、イタリア

 

の古典絵画に感銘を受ける。

 

 「私はこどもの頃にイタリアに初めて行った。祖母

 

が私を生まれ育ったポーランドの寒さから引き離し

 

フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ヴェネツィア、

 

ミラノといった陽光燦々とした都市へ連れ出した。

 

クァトロチェント(15世紀初期ルネサンス様式)や

 

ルネサンスのイタリアの巨匠たちの珠玉の作品に

 

私の目が開かれたのは、祖母の念入りな案内のお陰で

 

あり、私が絵を好きになり画家になりたいという

 

望みを抱いたのは、ブレラ美術館やピッティ宮、

 

スロッツィ宮、サンマルコ寺院、その他多くの

 

場所をはじめて訪れたときであったと思う。

 

レンピッカの絵画は古典的絵画をキュビズム技法

 

で展開したものと言われているが、古典に対する

 

親炙は実に幼いころから醸成されていた。

 

 16歳のときに、サンクスト・ペテルベルグに住む

 

大金持ちの叔母のもとで生活する。そこで知った

 

贅沢な暮らしを一生続けていこうと決心する。

 

 僕にはよく分からないが、ヨーロッパの上流

 

階級の生活はそれはそれは、素晴らしいものらし

 

い。

 

 彼女が関心を持ったのは、最上の人々であった。

 

金持ち、権力者、成功者である。・・・・・・

 

市民的、中流、親切なだけといった部類の輩をこ

 

とごとく嫌っていた。

 

 嫌な女だね。

 

 驚くべきことにレンピッカは18歳で結婚する。

 

相手は上流階級の遊び人。こういう類の人はうまく

 

すれば画家や詩人になりおおせるが、そうでなか

 

ったら遊び人の女たらしだ。レンピッカの選んだ

 

相手は後者だった。

 

 タマラは、まだ可憐な少女だった十七歳の夏に

 

叔母の住むロシア帝国の首都ペテルスブルグで

 

社交シーズンを過ごしているときに、タウディシュ

 

レンピッキという男と出会い、十八歳のときに

 

は早くも彼と結婚していた。

 

 タウディシュ・レンピッキは、ロシア大地主

 

一門出身の弁護士だったが、成人してからも

 

定職に就かずに、プレイボーイとして勇名を

 

馳せていた。白夜とパーティが大好きなタマラ

 

は、ペテルスブルグの叔母の家で開かれた仮面

 

舞踏会でこの美男子を見た瞬間に一目ぼれし

 

十七歳の乙女心に、

 

「私はこの男を絶対に自分のものにしてみ

 

せる」と固く心に誓っていた。そして彼女

 

は自分の方から積極的に彼にアピールして

 

タウディシュの関心をひき、誓いどおり

 

に翌年、レンピッキと結婚したのである。

 

 仮面舞踏会なんて本当にあるのだ。

 

それにしても十七歳でプレイボーイを

 

手玉にとってしまのだから、大したも

 

のだ。

 

 

 

 タウディシュ・レンピッキの肖像。なるほど伊達男だ。

 

この極楽とんぼの働こうとしないプレイボーイと

 

結婚した事、1918年のロシア革命をして、タマラ・レンピッカ

 

を画家にするのである。

 

 疲れたので続きは後日。