百 | やるせない読書日記

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  昭和57年(1982年)に刊行され、川端康成文学賞受賞。

 

「連笑」「ぼくの猿 ぼくの猫」「百」「永日」からなる短編集。

 

「ぼくの猿 ぼくの猫」については、色川の宿痾であるナプルコシー

 

について感想を書いたが、その他の作品について感想でも。

 

 この短編集は私小説風に色川武大の風変わりで前世紀的、横暴

 

、独善的家長である父親を中心とした家族について書かれている。

 

文学的にどうのこうのというよりも、他人の家族生活を覗き見る興味

 

がこの本を読ませた。大方の人間は大体、不幸であり、親子であり

 

兄弟であれ、夫婦であれば人間に関われば面倒くさい。と僕はそんな

 

感想をもった。もっとも他の人はこんな変な感想はもたないだろうが。

 

 色川武大(1929年3月28日 - 1989年4月10日)は60歳で亡くなった。

 

死因は心筋梗塞からの心臓破裂。無頼の不摂生な生活が祟ったのか

 

長年の宿痾によるものか、現代ではまだ若い年齢の逝去と言える。

 

 この本の記述から類推するに、色川の父親は1855年、明治18年生まれ

 

漢学を習う母に育てられ、当時のエリートコースである海軍に進み、大佐にま

 

で昇進したが四十歳くらいで、周囲と衝突して退官。二十歳下の女性と遅い

 

結婚をして、四十四歳で長子、色川武大、六年後に色川の弟を得る。退官し

 

た後は、恩給を貰うだけで働かない。四十歳で世間から降りて、年金だけで

 

暮らして妻帯し子供まで二人いるんだから、エリートの生活とも言える。

 

 父親は明治の家長的思考に染まった人物で、子供や妻をよく殴った。母親

 

は五十年間、殴られ続けたという記述もある。偉丈夫で五尺八寸、1m80

 

センチ弱ある。ヒステリーの持病があり、発作が起こると母親を殴りつける

 

し、子供を鞭で打つこともある。ドストエフスキーの因業で癇癪持ちの父親の

 

ようでもある。ただし内心は気が弱いことが、「永日」では明らかにされていて、

 

偏屈な性格ではあるが、「女」にその過剰なエネルギーを使うことはなく、明治の

 

軍人の品行方正な面もある。

 

 ぼくの知るかぎりの周辺の人は、一様に父親のことを傑物だという。それは

 

無職だからではなくて、世俗に超越し、自分の心情に即して揺れないという点に

 

あるらしかった。

 

 正月になれば、軍服で正装して宮城にでかける。無職ではない恩給生活者なの

 

だ。父親の行動でいくら戦前でも奇矯だと思われるのは、小学一年生の息子の学校に

 

にでかけ、教室の後ろに陣取り、授業を監督するのである。

 

 降っても照っても父親はやってきて、食いつきそうな顔で教室全体を眺めている。

 

ぼくは背後の視線を感じていつも緊張している。(略)父親はぼくだけを注視してい

 

るのではなくて、他の子が教師の目を盗んで気を散らしたりしていると、傘の柄な

 

どで、コツコツと机を叩いたりするから、我々は皆、前後左右に監視人をつけられて

 

いるようなものだ。

 

 父親は教師にまでしっ声を加え、授業を邪魔する。教師は校長に直訴するが、何故か

 

校長と父親は気が合い、信じられない事だが、校長室で二人で話し込んだりする。二年生に

 

なった時点で、強面の教師によって父親は教室の外に放逐される。

 

 父親の心情は以下の通りだ。

 

 父親は、権威と折り合いがわるかったが、それ以上に«衆》というものを信じない男だった。

 

明治人らしい身分意識と能力主義からであろうが、軍人経験もそれに拍車をかけていたと

 

思われる。彼の尺度は、公をどれほど自覚していきるかというあたりにあり、すると町人は

 

語るに足りず、女はすべて下女であり、大型の犬は辛うじて生き物の下位に列するが、猫

 

以下の小動物は存在も認めない。彼の手の届くところに猫が近寄ると、箸箱をふりあげ、蠅を

 

叩くように力いっぱい打ち据える。

 

 小学校の教師なども虫けらと同様。

 

 しかし、子供たちを愛していないわけではなく、将校が兵隊を、人間が犬を慈しむ類をかけれた

 

と色川は記述している。父親は息子たち二人に官学の優秀な教育を受け、体制内のエリートに

 

なって欲しかったが、色川は劣等生の道を選び、旧制中学校を退学し、無頼の徒として世過ぎ

 

するようになる。弟はどうにかドロップアウトすることなく、大学を出て、地方の会社の研究室に職

 

を得た。

 

 私は奇矯な子で、小学生の頃から学校に行きたがらず、登校するふりをして、公園の芝生や

 

映画館やスポーツ場などにかよった。けれども観劇するために学校をさぼったわけではない。現在

 

では混ざり合って何が主要な原因だったか判別しにくくなってしまったけれど、無理にわければ

 

おそくできた子でひっこみ思案のうえに覇気がなく、頭の形がいびつで大きいために子供がかなり

 

深刻になる程度の片端意識があり、他人になれない。いわんや他人と競争することなどまったく

 

国電の線路わきなどで一人でしゃがんだりしていることが多かった。少しして、閑を埋めるために

 

できない。                                      「連笑」

 

 それに加えて持病のナプルコシーが彼をして、父親が望んだ立身出世のコースから大きく

 

外れていったのだと思う。多くの男の子供が高圧的な父親に対する反感を色川は胚胎していた。

 

旧制中学校の生徒だった十六歳の頃、友人たちと作った同人誌に巻き割りで父親を撲殺する

 

小説を書いている。だが、体力的に父親を凌駕し始めた十七、八の頃には、父親に対する反感

 

も消えていった。

 

 僕だったらヒステリーを起こして母親を殴りつけるような父親には絶対、愛着を感じないが

 

不思議なことに色川は母親にはほとんど愛情を持たず、この過剰な生の父親に同類がもつ

 

近親感のような愛情を持っている。

 

 と言ったところが、この短編集のバックボーンである。どの家庭にもある親が老いて、何十年

 

も形成された両親、二人の男兄弟という家族が崩れていく過程を描いている。

 

 「連笑」。おそらく、れんしょうと読むだろうこの言葉は辞書にはなかった。作者の造語なのだろう。

 

色川と5つ違いの弟に対する粗暴ではあるが実朴とした愛情が描かれている。面倒なので詳しく書

 

かない。

 

 「百」。色川の父親が九十五歳になり、色川は五十を超えている。父親の敷地に老夫婦が住む

 

家と新しく建てられた弟夫婦の家が隣接している。困った爺さんの頑迷固陋の度合いは急伸して

 

いる。長男の色川は父親を捨てて別所に女房と住んでいる。

 

 話は色川のもとに弟の女房からの事故報告の電話から始まる。耄碌した父親が七十半ばの

 

母親を突き飛ばし、庭に転落、母親は骨折する。五十年殴られ続けた母親もこれには我慢で

 

きず泣き叫ぶが、父親は頑として突き飛ばした事実を認めない。ヒステリーが内向して人に

 

当たり散らすタイプの父親が耄碌して、その度合いがひどくなった。よくある話だが、平生、

 

弟夫婦はやっかいな爺を押し付けている兄貴を内心、反感を持っている。

 

 事態収拾のために訪れた実家で、色川は九十五歳の父親が百まで生きて、区から百万円

 

貰いたい。その金を貯金して弟夫婦の娘のために残してやりたい意向を聞く。そしてどうやら

 

父親も自分と同じく、幻視や幻聴の精神疾患を抱えてるのではないかと思い始める。

 

 その推察は最後に実証される。

 

 弟の嫁が、不意に腰を浮かしたので、私たちは父親がガラス戸の外に来ていることに

 

初めてきがついた。

 

 父親は、怖い顔をしていた。大変だ、どうしよう、と嫁が呟いてガラス戸を開け、

 

 「おじいちゃん、おはいりなさい」

 

 といった。父親はしばらく私たちをにらんでいた。

 

「何か、俺に報告すべき重大事要件が定まったか。あれば報告しろ」

 

色川は父親の肩をもって父親の住む母屋に連れて行く。父親は家長としての定座に

 

座り、弟夫婦も招集して、こう命令する。

 

 「皆、集まったよ」

 

 「そうか」と父親が打って変わった弱い声でいった。「熊がな、庭に入ってきている。」

 

「皆で探せ」

 

 「熊、か」

 

 私たちはむしろ望んだように立ち上がり、三人連れだって庭に出た。そうして冷たい

 

夜空を眺めた。

 

 「永日」。この作品は父親の耄碌がひどくなり、老人病院に入院するまでになる。どこの家庭

 

にもある親の介護の煩わしい諸々を描いている。自分や見聞きした身近の人の例など思い出し

 

た。九十六歳になり、体力も衰え気弱になり精神病の一種である認知症まで発症した父親は

 

在宅での生活が叶わなくなる。金銭援助はするものの、実生活の困難は被らず、父親には

 

頼られる兄と耄碌して横暴がますますひどくなった父親に耐える生活をしている弟は喧嘩になる。

 

これもよくあることだ。手に負えなくなった父親は老人病院のしかも精神科に収容される。

 

 「息子さんが見えたわよ。息子さんよ」

 

 あらあら、と看護婦がかれの足もとを見て、スリッパが片方ないわね。彼女はもう

 

 一度大声でいった。

 

 「お爺ちゃん、スリッパをどこにおいてきたの」

 

 ややあって、彼は小腰をかがめて、

 

 「へえ、すんません」

 

 といった。そうして一方の手で頭をさしながら、

 

 「あたし、ここがわるいものだから」

 

 色川が父親を病院に見舞ったときの父の姿である。横暴で強圧的な父親が人生で初めて

 

みせた卑屈で気弱な姿である。

 

 父親には病院での生活は困難であるらしく、色川は自分が引き取ることを提案するが、結局

 

は住み慣れた自宅に戻っていく。認知症はひどいままで戦闘をしている幻に囚われている父親

 

で終わりになる。