ぼくの猿   ぼくの猫 | やるせない読書日記

やるせない読書日記

書評を中心に映画・音楽評・散歩などの身辺雑記
礼儀の無いコメントは控えてください。そのようなコメントは
削除します。ご了承ください。

 表現者には精神的疾患を抱えてる人が多い。つげ義春は神経症であり、いい作品を生みだしたが


結局は神経症から逃れられない。三島由紀夫や太宰治、夏目漱石には統合失調症の症状が看取


される。こういった疾病が作品の揺籃となる見方もあるだろうが、芸術家ではなくても精神的な疾病に


悩む人は多い。


 色川武大の病気はナルコレプシーだが、かなり重篤な症状を呈しておりこの病気が色川をして日常


生活から無頼へ押しやってしまった一因となっている。ナルコレプシー発症には生来的器質と狷介な


父親を中心として成立している暗い家庭環境もあるかもしれない。


 父が退役した軍人で四十五歳の時の子供で、下に弟がいる家庭に色川は育った。父親は戦前の


封建的で暴君な家長で憂さ晴らしに母親を殴るのは当たり前と思っている。息子たちには愛情をかけ


たが子供に対して高圧的である。


色川のナルコレプシーの症状は凄まじいものがある。


 汽車のなかでじっとしていると、口の中に蛞蝓(なめくじ)がたくさん湧いてきている。ぼくは歯を噛み


合わさないようにして、彼らとの友好をかろうじて保っている。けれど唇は開かない。唇の外まで出す


わけにはいかない。


 

 猿はあいかわらず、しかめっつらしく無表情だった。ある夜、ぼくが寝ているそばで、手弓に矢をつがえて


ぼくの眼をねらった。そうして矢は簡単にぼくの眼球に当たり、深々と刺さった。痛さに似ているが、熱い


ショックが身体を走り、瞼を硬直させて矢をくわえていた。ぼくは片方の眼球も狙われ、もう一本射込まれた。


案外がっしりした矢の根本が、風になびかず、ぼくの視野を埋めていた。


幻視の類の症状であるが不安や恐怖などの人間にとって悪いものが具現化してしまう病気で、十歳の


ころから色川は発病して、四十過ぎまで、この病気の正体を知らずに自分はいずれ精神病院に入る


人間だと自覚していた。


 色川の幻影には猫と猿が多く、夥しい幻想の描写に読むほうは圧倒されてしまう。常人と違い書くこと


があっていいとは言えるが本人にとっては辛いだろうし、普通の勤めはできないので色川は物書きを


生業として選ばざるをえなかった。


 ヒステリーを起こして母親を殴りつける父親も実は自分と同じ病をもつ身ではないかと色川が察する


ところがあり、「百」という作品では父親も色川と同じ病気をもっていることが明らかになる。


 因業な父親だが、肉親の紐帯を感じさせるところもあり、それが同じ病気ではないかというところで


強調させられている。


 読んでいる方は面白いが、実体験としてこういう病に苦しめられた人間は大変だろうし、それでも


健常な生活を営んだ色川の強靭な精神力と苦悩には頭が下がる。


 色川は中学もドロップアウトして十代後半はかなりの不良少年として名を挙げていた。社会から外れ


て犯罪を起こすものには本人ではどうしようもできない生来的条件があるのかもしれない。


 それにしても、ドロップアウトして向こうの世界にそのまんま行かず、作家というところで踏みとどまった


色川は大した人物であると思う。


無責任な読者としては悪夢のような幻視の描写は大変おもしろかったと告白しておこう。