確か去年か、一昨年、フェルメールが日本に来た。無知な俺も「真珠の耳飾りの少女」と
いう有名な作品は知っていたが、なんとなく好きではなかった。絵のサークルにフ
ェルメールが好きな人がいて、見といた方がいいよと言われた。フェルメールに関する
本も貸してくれて、それを読むと現行の美術界でもトップクラスの人気で、かなりの値が
つく、残存してる作品が37点で、エリザベス女王の個人蔵の作品もあり、全世界に散ら
ばる作品をわざわざ観に行く、フェルメールツアーなるものまであるそうだ。
ダリの本で、自分以外で一番の絵描きはフェルメールと述べているのを読んだことが
ある。ダリもべた褒めフェルメールというわけで、フェルメールの「絵画芸術」という作品
の構図を借りて、ダリが超悪妻ガラを描いている作品もある。
でまあ、展覧会に行ったが、ぶっちゃけ、あんまり面白くなかった。何ででしょうね。
その展覧会のフェルメールの作品は、三十七点のうちの半分くらいか。「牛乳を注ぐ女」が
メインだったと思う。素人の感想だが、室内画がほとんどで息苦しい。構図も作りすぎじゃね。
という感じがするし、光の当たり方も人為的だし、何よりも動きが感じられないだから息苦しい。
それに登場人物の顔が悪相で気持ちが悪い。でも、デッサンは抜群に巧い。
最近、生物分子学が専門の福岡伸一の本を二冊、読んだが、この人がフェルメールに
ついて二冊の本を書いていることを知った。今まで分けが分からず、面白くなかったものが
優れた評価に触れて、その実態を理解できることもある。俺もフェルメールに関しての無知蒙昧
から解放されるかも知れないと思って読んだ。
凡人の緩慢な読書だったが、結論から言えば、なんだかなあ。だった。
何故、フェルメールが凄いのか技法的な分析を期待したが、それもなくて、美術史的、評伝的な
記載は俺でも知ってるごくごく入門的な事柄ばかりだった。もっとも17世紀のオランダの名士の肖
像画とか、部屋に飾るインテリアとしての風俗画、宗教画を描いて生計を立てていた一介の画家に
関しての情報が多く残されているはずもないが。現存してるフェルメールの作品は37点だが、職業
画家として生計のために夥しい数が制作されただろうが、買われた後、散逸したり破損してしまった
のだろう。
この本では著者がフエルメールの絵画を世界中の美術館を巡って、フェルメールの絵画について
考察するが、野口英世がどーとか、数学の天才ガロアがどーとか、さらには動的平衡がどーとか関係
ないいでしょとは思いますが。ちゃんとした科学者だから、絵の技法的なことを勉強して、何故、フェル
メールは天才か解明してくれると思ったが、前提としてフェルメールは凄いから出発してるので全然、
面白くなかった。文章もなんか気障だし。
画家ヨハネス・フェルメールは1632年、オランダに生まれた。奇しくも同じ年、アントニオ・ファン
レーゥエンフック、そしてベネディクトゥス・デ・スピノザが、同じ国に生を享けた。方法は異なるもの
の、彼らは同じものを求めた。それは、フェルメール作品の細部に秩序ある調和として現れている
「光のつぶだち」であった。
彼らが焦がれた、その光に導かれ、私は旅に出た。
なんつうか小インテリ臭が鼻につく文章だ。
であるがフェルメールの絵画に見られる静謐の緊張ともいうべき特徴を微分という概念で的確に
表現している。
<微分>というものは、実に何も難しいものではありません。高校時代の教師はかってそう私に語った。
<微分>というものは、動いているもの、移ろいゆくものを、その一瞬だけ、とどめてみたいという願い
なのです。カメラのシャッターが切り取る瞬間。絵筆のひと刷きが描く光沢。あなたのつやややかな記憶。
すべて<微分>です。人間のはかない「祈り」のようなものですね。微分によって、そこにとどめられた
ものは、凍結された時間ではなく、それがふたたび動き出そうとする、その効果なのです。
あー気障ったらしいくて嫌だ。まあこれが「微分」でフェルメールの絵にあてはめるとこうなる。著者がフェル
メールを所蔵している美術館の学芸員にフェルメールに惹かれる理由を問われ、こう答える。
「最初は自分でもよくわからなかったのですが、それはフェルメールの絵の中の光が、あるいは影が
絵としては止まっているにもかかわらず、動いているように見えることでしょうか。つ まり、フェルメール
の絵には、そこに至るまでの時間と、そこから始まる次の時間への流れが表現されていると思うのです」。
私は、これまでのフェルメールを巡る旅の過程で、フェルメールの絵について感じたこと、つまりそこに
は、時間を止めながら、時間の流れを表現する方法、いうならば微分的な要素が含まれていることを
話してみた。
平たく言えば、デッサンが良くできていて人体の動きまで感じられるということだろう。
それから蛇足だが、イギリスの美術館に「ギターを弾く女」という作品を観に行って、学芸員
からポール・マッカートニーがその絵をお忍びで観に来ると語られるエピソードがある。
ポールがそんな、インテリ臭いことするかな。と思うが。
服の質感やら人体のデッサンなんか抜群に巧いが、なんか気持ち悪い。