大槻ケンヂいうところの「ツッコミどころ満載」スットコ・トリックのオンパレード、
まともに読んだら頭がおかしくなる、エログロ活劇の一篇。
明治27年・1894年生まれの乱歩は、谷崎潤一郎(1886-1965)夏目漱石(1867-
1916)芥川龍之介(1897-1927)などの旧制高校から官学の東大というエリートコース
ではなく、市立中学校から明治45年・1912年 早稲田大学予科に編入。活版工などの
バイトに励む勤労学生。翌年、早稲田大学政経学部に入学し、ポー、ドイルを読み探偵
小説に開眼。元々、幼少期より黒岩涙香の「幽麗塔」を耽読する怪奇小説好き。早稲田
在学中に探偵小説の試作「火縄銃」を書く。大正5年・1916年 22歳で早稲田大学卒業
この頃、佐藤春夫、宇野浩二、谷崎潤一郎など、当時、隆盛の自然主義文学とは一線を
画したものを好んだ。特に谷崎潤一郎の「黄金の死」(1916)に多大な影響を受けた。また、
ドストエフスキーも読んだ。もっとも思想小説ではなく、探偵小説としてか読んでいないよう
だ。ドストエフスキーから思想を得れば、女をさらってバラバラにするとか、死体が腐ってぐ
にゃぐにゃとかばっか書いたりしないだろう。
官費海外留学生の夏目漱石などとは違い、大学は出たけれど、今で言うフリーター生活を
送る。22歳早稲田大学卒業後、貿易会社に就職もすぐ会社を離職。伊豆地方を放浪。そ
の後、造船所に勤めたり、本屋の経営、ラーメンの屋台もひき、26歳では東京市社会局に
勤めるが半年で辞める。28歳でポマード屋の支配人、29歳で大阪毎日新聞広告部入社。
大正13年・1924年 30歳で退社。専業作家を目指す。
大正14年・1925年 31歳で短編集「心理試験」上梓。
大正15年・1926年 32歳 「湖畔亭事件」「パノラマ島奇談」「火星の運河」「鏡地獄」
「踊る一寸法師」
など本人に言わせると、この二年が文学的絶頂期で後は売文生活。
松本清張が江戸川乱歩は初期の作品だけ残して死でいたら天才だった。と言ったが、蓋し
その通りだと思う。
昭和2年・1927年 33歳。「一寸法師」に嫌気がさし、休筆宣言。一年後、「軽蔑されてもいい
からもう一度何かを書いてみたいという欲望」促されて、「陰獣」を執筆。当たった。
「蜘蛛男」は昭和4年・1929年 35歳で大手の出版社、講談社の大部数出版の雑誌「講談
倶楽部」に請われて連載した。その前に博文館で「孤島の鬼」を発表。これも好評になり、いよ
いよ大手に目を付けられたわけである。このバカバカしい話も大うけして、乱歩は流行作家の仲間
入りを果たした。
さて「蜘蛛男」の感想ですが。いつもはメモを取ったりするんだが、流石の俺も、その気力なし。
女をさらって、凌辱してバラバラに切断して手や足を石膏で塗り固めたり、殺して水族館の水槽に
人魚のように晒し者にしたり。最後には蜘蛛男は若い美女四十九人をさらって裸にひん剥いて毒ガ
スで殺して血の池地獄、熱湯地獄、剣の山に本物の死体を配置したパノラマを作ろうとする。
蜘蛛男がなぜ、このような猟奇的犯罪を犯すのかの理由もないし、アジトを構えたり、若い女の死
体でいろどられたパノラマの建築資金などの資金調達の経緯もなし。
初期の「D坂の殺人」や「屋根裏の散歩者」には微かでも現実との繋がりがあったが、「蜘蛛男」に
なるとそんなものはなく只のマンガになってしまう。
僕が少年期から青年期にかけて強く影響を受けたのは、やはり初期作品ということにな
ります。僕の好きな乱歩作品には、「この世のすべてに飽き果て、何をやっても面白くなくて、
しかも生活にはそれほど困っているわけではない」という、まさに現代のニートとかフリーター、
あるいは引きこもりの元祖みたいな人がたくさん出てきます。「屋根裏の散歩者」の郷田三郎、
「パノラマ島奇談」の人見廣介そして「蟲」の征木愛蔵とかです。そういう奴らのやっと見つけた
社会との接点が犯罪だった、という悲喜劇なんです。 「大槻ケンヂが語る 江戸川乱歩」
夏目漱石の高等遊民と異なり、初期の江戸川乱歩の小説の主人公である腐ったダメ男達には、
私学を出て、ラーメンの屋台引きまでやった苦労人の乱歩が被った、世間の塵芥がこびりついて
いる。
わずかながらでも文学的な緊張は「そういう奴らのやっと見つけた社会との接点が犯罪」は乱歩
が書いた売れた作品には皆無になってくる。
氷川鬼道(註 江戸川乱歩のこと)の名をスキャンダラスなものにする、一連のグロテスク趣味の
小説は昭和四年から六年にかけて、作者の自棄的な思い切りの下に多作され、六年には全集まで
出しているが自己の作品への嫌悪感を募らせた彼は七年の三月に再び<休筆宣言>をして執筆を
絶ってしまう。
「半巨人の肖像」 小林信彦
昭和4年から6年に書かれたものは「猟奇の巣」「魔術師」「孤島の鬼」「蟲」「芋虫」「黄金仮面」「盲獣」
など。勿論、「蜘蛛男」も入る。題名の字面だけでも、おどろおどろしい。唯一昭和4年の「押絵と旅する
男」は出来の良い幻想小説に仕上がっている。
後年、乱歩はこれらの作品の題名を聞くだけでも、渋面を作ったという。
「蜘蛛男」の冒頭を読んで、小学校の時、学校の図書室でこの小説を読んだ記憶が蘇った。よく覚えてい
るのは最初の蜘蛛男が若い女性を殺して、バラバラにして手や足を石膏詰めにして美術商に売り飛ばす
という件だった。今では小学校の図書室に蔵書になりえないが、さすがに女性を凌辱する場面はカットされ
ていた記憶がある。
乱歩のエログロはどっちかというとグロティスクに重点が置かれているようだ。特にドロドロに腐った死体
が好きで、多くの作品に出てくるが「蜘蛛男」では、五人の若い女性のバラバラ死体が漬物樽の中にあると
いう箇所があった。人肉を食べる小説もあり自分でも、後で吐き気を催すと言っている。じゃ、書かなければ
いいと思うが。本来のトリック主体の探偵小説、ホフマン、ポーのような幻想小説もなかなか書けず、生活
のために苦し紛れに自分のグロ趣味の切り売りとなった小説家生活だったのだ。
「蜘蛛男」を読んでいると、あんまり馬鹿らしくて、早くに認知症になりそうだった。特に中盤の展開はひどい
ホモ映画やAVの筋書きを彷彿させる。乱歩が好きな人はこういうバカバカしさも含めて、好きなようだが、俺
はいいや。
追記 もう少し気のきいたことを書こうと思いましたが、疲れて書く気がなくなりました。気が向いたら
加筆・訂正しますが、もう江戸川乱歩いいかな。