僕には寺山はいつまでも経っても良くわからない。初期の短歌や詩にとてつもなくいい作品が
あると思えば、四五年前に発表された短歌集「月光書簡」なんて全然、面白くない。詩的自叙伝の
「地獄篇」にしてもロートレアモンの向こうを張ったシュルレアリズムなんだろうが、怪人二十面相と
か小林少年とかいう如何にも「寺山修司」な言葉の使い方にうんざりしてしてしまう。
大岡信は埴谷雄高が「死霊」を完成させられなかった事、寺山修司が詩人として未完成に終わった事
は日本の文学の未成熟さを示していると言ったが、そうかもしれない。
まあ、二回も読んだので感想でも。
正直言えばバカバカしかった。これを書いたのが寺山が二十七歳の頃で、時代は1962年くらいで世の
中はまだ貧しくて家出はかなりインパクトがあり、本書は世間の良識に対して挑発的であったようだ。
当時の市民生活の雛形である「サザエさん」を引き合いに出してサザエとマスオに性生活はあるのか
と揶揄したり、一旦家を出て、親を捨てて自立した人間として親子の関係を再構築しようと唱えるのが
寺山修司の十八番であるのだが、な~んかまともにとれないというか、そんな感じである。
わたしは、夜明けゆく都市の上を、電車道路の上を、はだしで歩くのが好きでした。
こういう件にくると、勘弁してくれと僕は思ってしまう。この青臭さが寺山だと言えばいけるけどさ。
二回もはっちゃきになって読んでみる本でもない。まあ、本なんて時間つぶしで楽しく読めればいいんだし
自分に合わなければ読まなくていいものなんだが。
寺山はしばしば、青森のおどろおどろしい「土俗」に言及している。それは寺山修司の優しい感性が、間引き
された赤子などに代表される虐げられた者に対するシンパシーを形成しているのかと思ったんだがそれも
どうか分らない。
単純にああいう変なのが好きだったのかもしれない。
唯一、面白いと思った箇所は思想なんて言行不一致で全然、構わないというところでこんな風に書いている。
福田恒存は、「わたしは自分でもときどき顔を赤らめるようないい事をいう。しかし、妻はそれを聞いて
成長して行った」と書いていますが、思想とは本来「自分でもときどき顔を赤らめる」ようなことでいいの
ではないか、と私はかんがえるのです。
そして、こうした言葉は、それ自体で一つの行為の重みを持っているのであって、けっして実行者のそれ
に優先されるものではないのです。そのへんのところをよく弁えてかからぬととつねに体験者優先の思想
しか効力をもたないということになります。
わかりきったことですが、ここが重要な点です。
「立派なことをいうが、あいつのしてることはいったい何だ」
などという非難で、本末を転倒してはならない。思想とは本来、無署名のものであることを知っておきさえ
すれば、理想主義者トルストイが夫婦喧嘩のすえ、汽車に轢かれて死んだ・・・・・・・などということはいっこう
に騒ぐに足らぬことだと、いうことがわかります。あいつぁ人殺しだが,あいつの人道主義の説教はなかなか
いいぜ、というぐらい徹底した言行不一致をたてまえにして始めねばおそらくいっさいの思想運動などは育た
ないでしょう。
グレイト!ここの件だけはビンビンくる。やれば出来るじゃん。さすが六十年安保の時、「デモに行く奴は
豚だ」と履き捨てた無頼の凄みがある。
それなのになんで、ジャズがどうのこうので夜明けの電車道路の上で裸足で歩くなんて馬鹿らしい
フレーズを入れるのか、サーヴィスなのか本気なのか、僕には良くわからない。
まあ、堅いこと言わずに「寺山修司」を楽しいでいればいいのかもしれないが。二度読みするほどの
本じゃねえな。