吉本隆明     論争のクロニクル    添田馨 | やるせない読書日記

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 もう以前のように親の敵を討つみたいにはっちゃきになって感想文をかく気力がなくなってしまった


ので散漫な感想ということで。この本の初版は2010年、著者は1955年生れで全共闘世代という


リアルに吉本体験のある世代ではない。吉本の思想を論争を通して探っていこうという意図がある。


 1955  壷井繁治、岡本潤「前世代の詩人達」


 1956  戦後転向 「民主主義文学批判  二段階転向論」


 1959  花田清輝「転向ファシズムの詭弁」


 1960  日本共産党「擬制の終焉」


 1963  武井昭夫「政治と文学」なんてものはない


 1966  べ平連「思想の自立的拠点」


 1971 鶴見俊介「どこに思想の根拠をおくか」


 1982  反核論争


 1985  埴谷雄高「アンアン論争」


 1985  鮎川信夫「ロス疑惑論争」


 1995  小浜逸郎「オウム論争」


 等々、である。本書では取上げられていないが短歌の韻律についての岡本信との論争、谷川永一


との論争、その他数え切れないほどの「論争」が吉本にはある。竹中労、太田竜、平岡正明を相手にした


三馬鹿論争というのまである。


 吉本は内省という形では思想が進化しなかった人物で常に攻撃する他者を必要としている。自分より優れ


た思想家は存在しない。相手をこきおろす芸で論争屋として渡世してきた。自己卑下とか内省にはほど遠い人


で自分は常に一番である。1955、56年で前世代の文学者たちの戦争責任を追及したときも自分に関して


は「皇道青年であった」と堂々と云ってのけ、それでお終いである。


 まず自分の戦争に対する姿勢を総括してから物を述べた方がいいという埴谷の苦言なんか蛙の面にション


ベンであった。まあ徹底的に強気で自己肯定に長けた人であるのは間違いない。


 詳しく書く気がしないが花田との論争も何が原因でどういう帰結をしたのか良く分からないが、罵詈雑言


だけは面白く、吉本が花田が戦中、東方会というファシズム(厳密に云って日本にファシズムってあったの?)


の団体に寄稿していたのをネタに論争を優位に導いていった。


 花田というのは傲慢な人物だったようで、そこが「狂犬」吉本の逆鱗に触れた。吉本は戦中、大学


にいって徴用を免れていた。花田は確か吉本より十五上で生活を担っていた。俺はこの歳になれば生きて


行くためにはファシズム(実態はどういうものか良く分からんですが)の雑誌に寄稿ぐらいするだろうさと


思う。当時、吉本の文章しか読んでいなかったので花田清輝って本当に駄目な奴だと思っていたが、後年


読み返してみるとエッセィなんか吉本などより数段優れている仕事をした人だ。


 「永久革命者の悲哀」で埴谷が花田をボロクソ云って吉本の援護射撃をした。この頃、二人は仲が良かっ


たし、内心はどう思っていたか解らないが吉本は埴谷を評価していた。


 アー面倒くさい。こんなこと書いても仕方がない。


 最後に「アンアン論争」に対する俺の感想でも。本書の著者もそう見ているが、この「論争」で埴谷雄高の


旧弊な左翼理論を「ナウい」吉本がせせら笑って吉本の勝ちということになっている。


 でも、俺はそうは思わない。まあ書くとながくなるからやめるが俺はそうは思わない。