母の蛍   寺山修司のいる風景   寺山はつ | やるせない読書日記

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 寺山修司の「困った」お母さんが書いた本。多くの評論で解き明かされているが、寺山にとっての苦悩は


この母親だった。田中未知の「寺山修司と生きて」の「母地獄」という章を読めば、実際の体験として寺山修


司以上と云われた寺山はつのとんでもない行状がわかる。


 「母地獄」で田中は寺山はつは精神病院に入院してもおかしくない症例だと専門家に診断されたと書いて


あるが、確かに利己的で攻撃的で徹底的に孤独で酷い女である。寺山はつと寺山修司の生い立ちなど


書きたいが疲れているので省略。(この稿を読んでいる人はその事に知識があるという前提を持とう)


ハツは三沢の米軍キャンプに夫を失ったため勤めていたが、自分や九条映子などは図書館の事務や


ハウスメイドだったと云っているが、実はオンリーであったという説が有力である。


 そして母は相手方の米兵が九州に赴任するので寺山を捨てて九州に行ってしまう。(幾つの頃で何年


かかは今、調べるのが面倒くさい。多分、中学校、高校から寺山が早稲田に入学して大学二年生くらい


までの八年間だったと思う。後で調べます)。その間、寺山は叔父夫婦に育てられた。


 まあ、職業がオンリーでもソープ嬢でもいいが、問題ははつの子供に対する愛情というものが健常に


形成されていなかった事にある。



 母は、私が学校の帰りに映画館へ立ち寄ったり、ズボンを破いたりして帰るたびに私をはげしく撲った。


裁縫用のものさしがいつも母のかたわらにあって、それが「ムチ」だったのである。母の撲ち方があまりに


はげしかったので、近所のこどもたちは塀のすきまからそれを覗き見することをたのしみにすようになった。


 わざわざ母のところへ告げ口に来て「今日、修ちゃんは学校で喧嘩して先生に叱られたよ」と報告する。


それから私が撲たれるのを見るため、裏の塀に集まって「のぞきからくり版ー家庭の冬」を息をつめて


見守るのである。母の私を打つ口実は「不良になったら、戦地の父さんに申し訳がない」というのだが、


実際は撲つたのしみを欲望の代償にしていたのである。


「誰か故郷を想わざる」の一節だが、多少誇張はあるにせよ実際は撲つたのしみを欲望の代償にして


いたのである。という箇所は真実であると思う。縛られて折檻される少年というのは頻繁に寺山の作品


に登場する。表現によって昇華しようとしてもしきれない深い精神的な傷のように思える。


 といった困った母さんが書いた寺山修司に関する思い出話である。巻末で褒めている解説者もいるが


僕はそれほどいい文章とも思わなかった。教養がなくその種の症例をもつ人の文章の特徴で嫌な緊張


が常にあり(容易に敵意に変化するもの)、平面的で他者を受け入れない。ただし、流石寺山修司の母親


で表現力はある。


 面倒なので例文はあげないが、幼少時と成人してからの呼びかけが「修ちゃん」と同じで一人前の


大人に対するものではなく、何か人間をまともに扱えない欠損のようなものを感じる。


 人間は母親を選べない、このような人間を母として受け入れなければならない人間の苦悩は測りしれな


いものがあるだろう。たとえそれが芸術の揺籃となったしてもだ。


 なんかまとまらない感想だが気が向いたらあとで書きなおそう。


 困ったお母さんの文章だけじゃあんまりなので寺山の高校生時の未発表の詩編、書簡も掲載されている。


その中で次の詩が僕は好きだ。


 高原歌



 高原で



 いたづらな少年が



 山羊にうまのりになって



 海のみえるところまで



 のりまわした



 白い雲が



 大きくながれ



 私は草で汗を拭きながら



 それを見ていた



 そこにはいつも



 オルガンがひびいている



 遠い夏の記憶では



 私は



 はだしで教会に入った罰に



 神父さんに立たされていた。



 そしていたづらな目で



 少女に合図をおくりながら



 百合の匂ひをかぐ



 真似をしていた。


大兄、素晴らしいです。百合の匂ひをかぐ  真似をしていたというのは天才でなければ


書けない。それからもう一つ


 


 火のつかない火山は


 いつも


 秋が描いていてくれた。

 

 麦わら帽子の少女たちが


 指さしたのは


 私があの高原で


 見失った雲であった。


 

 午後のかなしみは


 蝶のようにぬれる。


 手紙・・・・・・・。葉っぱの


 手紙。


 母はきのうも


 よその子を抱いた。