遊撃とその誇り | やるせない読書日記

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寺山のあとがきが1966年とあるので45年!も前の著作である。頻繁に引用されるノーマン・メ


イラーなんていまでは誰も読まないし集団就職の中卒の金の卵も玄関が共同で風呂なし、トイレ


共同のアパートもありはしないが、寺山の挑発はまだ有効なようだ。


この評論集の主調音は「行為とそのほこり」というエッセィに結実しているが、言葉を超えての行為とし


 ての詩、芸術を志向していることであり、「ハプニング」という言葉で有名になった現実変革の場である


寺山の演劇が始動するのは1967年からである。寺山の演劇行為が世間で「アングラ」と揶揄された


としても本人はマジだったようで新左翼運動がぽしゃった後でも演劇は現実変革の場というスタンス


を保ち続けた。


 そうは云っても演劇じゃないかという悪口もあるし、46歳で病に斃れなかったら俳句に回帰したい


と寺山は言っていたのでハプニングとかシュルレアリズムとか青臭いことから脱却して純粋な表現者


に戻って少年時代のようないい句を作っていたかもしれないが。


 しかしヒットラーは気の弱い芸術志望からいつの間にか政治家志望に転身したのではなかった。


彼は自分が表現者であることをやめて、そのかわりワグナーの楽劇を、より大きな構想の下に行為


の次元で体験したのだ。彼は恐らく楽譜や歌手と言う代理現実の世界を飛び越えて、クビセックと


自分との共有の感動を、歴史という途方もないステージで再現しようとしたのだろう。ヒットラーは


その意味ではもっとも純粋な芸術家であり、それゆえにもっとも反社会的な人物だったのだ。


 なるほど。寺山が「行為」に魅せられていたのが良く分かる。


  詩は字にする必要などないのだ。ましてや、字にすることの効果から逆算して詩を書くべきでは


 ないし、字を過信すべきではないことは自明である。


 まあ、これは寺山のみならず70年代の前衛芸術が標榜したテーマではあったが。「行為」と「字への


不信」こんなところが短歌や俳句、詩(寺山いうところの行為の結果)から行為(演劇、映画)に踏み出した


中核の意思と言えよう。


 ちょうどこの時期、もう一人の男が「行為」への衝動に捕らわれていた。三島由紀夫である。


 何故、寺山が中庸を得た俳句、短歌、現代詩の表現者から演劇や映画にシフトして行ったのだろうか。


三島には病理的な「行為」への希求があり、寺山には「母」の存在による過度な異端意識がそうさせた


ような気もするが、どうなんだろう。


 騒擾の60年代から70年代前半は疾うに、過ぎてしまった。今日、何にも成りえなかった馬齢を重ねた


僕にとってこの本はどういう風によまれるのだろうか。


 寺山の文章は軽くて読みやすく、知識の裏付けも豊富である。そして相変わらずの寺山の嘘。自分は子


供の頃、ヒットラーが好きでノートや教科書にハーケンクロイツを書きまくったとか、ハーケンクロイツを上手


く書けなかった仲間の女の子の耳たぶをハサミでちょん切ったとかいう嘘を愉しんでいればいいのだ。


 テレビや酒によらないで時間を潰せてほんの少し楽しく、寝床で読んだ本の文章を反芻して心地


良く眠れればそれでいいのだ。


 まあ、芸術による現実の変革なんてありえないし、もし寺山修司が五十代になったらそんな事は


もはや唱えてなかつたと思う。わかんないけどね。