私はギャンブルは一切やらない。といっても昔は人並みに麻雀、パチンコもやったし、
競輪、競艇、競馬にも何回かいったことがある。麻雀はものすごく下手でほとんど負け
だったし、パチンコも覚えてから十四、五年やっていたが馬鹿らしくてやめてしまった。
パチンコもあんまり勝ったことがない。競馬も十回くらい馬場にいったことがあるが、やた
ら疲れて自分がはずれ馬券と同じようなところまで落ちてしまうようなザラザラした感覚
がいやだった。勝っても負けてもなんかギャンブルは人の正常な感覚を弛緩させる要素
があるようだ。だが好きな人はその無頼なざらついた雰囲気に身を浸すのがいいらし
いが。
私は実際にはギャンブルはもうやらないが、麻田哲也の麻雀小説なんかは読むのがすきだ。
本のなかで堕落や無頼を楽しむのはすきだ。
寺山修司の数多くの抽斗に競馬ものというのがある。エッセィとも小説ともつかない読み物
で、書かれた年代も初出誌も私の読んだ古本屋でかった文庫本には一切、記述がないが、
すじ屋の政がどーだとか、トルコの桃ちゃんとかが出てくるコラムをスポーツ新聞で読んだ
ことがある。本の後半は実在の騎手達の話でこれには奇矯な嘘が入り込む余地はなく私のような
門外漢には全然面白くない。競馬を知っている人ならかなり面白い読み物かもしれない。
大体、寺山自体どこに何を書くと言うのに重きを置かない人で女性週刊誌にも詩を載せたし
歌謡曲の作詞もした。作品総体として膨大な数でどこに何が掲載されたかよくわからず、全集
をもし出したら百巻くらいになるという説もある。
前半はノンフィクションとわざわざ銘打って「嘘」というか馬にインスパイアされた創作である。説話
や童話のようなニュアンスがある。大概は馬も馬に自分を仮託する人間もうまくいかない。そんな話
ばかりである。
巻頭に1975年に引退したハイセイコーに捧げる詩があり、文中に昭和50年という記述なども、これ
らの作品は1975年頃に執筆されたものであり、寺山は、三十九歳前後であり、市街劇「ノック」などで
世間を騒がせていた。
舞台設定は私が歌舞伎町のバーで酒を飲んでいると、バーテンの鉄やすし屋の政、トルコの桃ちゃん
が登場し、馬にまつわる話が始まるわけである。ちなみに寺山修司は酒がまったく飲めない、だが「私」
はバーのカウンターで酒を飲みながら競馬新聞を読んでいるというわけだ。馬にまつわる話は朝鮮人や
アパート一間に住む集団就職の少年やひもなど寺山が好きなキャラクターが登場し、70年代までは日本
が引きずっていた貧困というスパイスを効かせたいわゆる寺山修司の世界(なんと陳腐な表現)が展開さ
れる。
さて、これから文章を抜き出してあーだこーだ書きたいのだが、どうも体調が悪く書く気がしない。
まあどうにか一か所だけ。
例によって寺山は嘘か本当かよくわからない記述で自分自身を解放している。
戦後、最初のダービーは、ダービー馬カブトヤマの仔マツミドリと名牝トキツカゼに一騎打ちになった。
私はその頃、孤児院に預けられており、母はオンリーになって三沢のベースキャンプを転々としていた。
もちろん、寺山は孤児院に入ったことはない。母親についてはオンリーだったという説とそんなことはなかっ
たという本もある。嘘でも本当でもいいが、このころ寺山修司の母はまだ存命していた。 ネタなのか寺山修
司のトリックか真偽のほどは分からないが、自分の母親がオンリーだったと書く心理的構造が私には到底理
解できない。私には自分の母が売春婦だったと書ける勇気は到底ない。
その他、「さらば ハイセイコー」の通俗的なところが私は昔は嫌いだった。でもいまはこういうのもありかな
と思う。