誰か故郷を想はざる | やるせない読書日記

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 このエッセィは寺山修司が32歳の時に、自分の半生を「自叙伝らしくはなく」という副題のもとに


書いたエッセィ集である。第一章が「誰か故郷を想はざる」第二章が「東京エレジー」。第一章が


幼少期から早稲田入学するまでで、東京エレジーはその後の東京での生活というところか。


 このエッセィについてはいたるところで「嘘」が描かれているということで「告発」している評論家


もいる。私も寺山の「嘘」について思考が拘泥してしまったが、まあ自分のことなので嘘をついても


なんでもいいし、それほどの大文学でもないし、読み流して楽しいレベルで十分の作品だと思う。


 第一章はある種の緊張感があるが第二章は寺山の競馬物と同じ文体で描かれている。


私として面白かったのはほら話とも思える少年時代のセックスにまつわる話である。


 一つは「へっぺ」というエッセイで東京からカマキリという疎開で青森に来た少年を神社の裏に


連れ込んで青森では女性器のことを「へっぺ」というが東京ではなんというかお袋に聞いてこいと


脅かす。とんでもないいじめだが。翌日カマキリは学校を休むが次の日、母親に書いてもらった便箋


を悪童に渡すと「おまんこ」と書いてある。という話だがいくら戦中でもそんな事を書く馬鹿な母親がいる


わけないだろう。もう一つは「自慰」というたわjけ話で、ショベンという綽名の同級生がいた。ピアノを


習っていたからで普通、ショパンなのだがあいつはションベンだ。というのでショベンになった。もっと


もこんなこと自体、作り話だろうが。ショベンは十二歳だがお母さん子で母親と一緒にお風呂に行って


いた。放課後、悪童が集まって自慰の話になり、自慰の対象は誰かと告白することになるがショベン


は母親と答える。そしてショベンの母親は翌年、乳癌で死に、次の年ショベンも草刈カマで喉を突いて


自殺してしまう。


 こんな馬鹿な話あるわけないが、そこが寺山修司のエンターティメント性というものだろう。


 向きになってこの本のこの箇所は嘘だどか書いている評論もあるが、少し読めば書いてあることの


大半は創作だとわかるはずである。


 だが、いろいろ粉飾されたほら話の中に私の見るところ一つだけ粉飾のない真実があるような気がする。


 「聖女」という項でこんな記述だ。


 母は、私が学校の帰りに映画館へ立ち寄ったり、ズボンを破いたりして帰るたびに私をはげしく撲った。


裁縫用のものさしがいつも母のかたわらにあって、それが「ムチ」だったのである。母の撲ち方があまりに


はげしかったので、近所のこどもたちは塀のすきまからそれを覗き見することをたのしみにすようになった。


 わざわざ母のところへ告げ口に来て「今日、修ちゃんは学校で喧嘩して先生に叱られたよ」と報告する。


それから私が撲たれるのを見るため、裏の塀に集まって「のぞきからくり版ー家庭の冬」を息をつめて


見守るのである。母の私を打つ口実は「不良になったら、戦地の父さんに申し訳がない」とうのだが、


実際は撲つたのしみを欲望の代償にしていたのである。


 寺山修司の文学の核心となっている「困った母親」である。凌辱され折檻される息子は繰り返し寺山


の作品に出てくるし、折檻される場面を近所の子供が見ていたというトラウマも後年の寺山の「覗き」と


因果関係があるような気もする。


 幼年期を語る数多くの嘘やほら話のなかでこのエピソードだけは「事実」だったと私には思える。


 説明不足で良く書けなかったが、感想としてはそんなところである。