永遠の吉本隆明         橋爪大三郎 | やるせない読書日記

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橋爪大三郎は1948年生、東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。東京工業大学大学院


社会理工学研究科価値システム専攻教授。専攻は社会学。正統的でバリバリの優秀な学者で


あるから、在野の吉本なんかケチョンケチョンかと思ったが、案に相違して吉本の礼賛者だった。


ボクシングとか空手などは道場なりジムに入って専門的なことを習わなければ大成はむつかしい


と思う。技術や練習法などに関して多くの人が試行錯誤してえたノウハウは我流の自己満足をし


のいでいるとと思うのだが。思索や思想形成にこの例はあてはまらないようである。


サラブレッドなのだからアラブ馬のくせに生意気だっ。という気概をもって批判してくれたら面白


かったのだが。吉本隆明がそれほど偉大なのか大学で営まれている思想・哲学の水準が吉本


以下なのか悪口言うと噛みつかれるのがいやなのかそこら辺のところはよく分からないが、吉本


をかなり評価している。


以前にこの人の構造主義の入門書を読んだことがありえらい頭のいい人だと思ったことがある。


流石に頭がいいので、吉本べったりではなく吉本を自分の上位におきながら批判するところは


批判している。


僕は吉本の三部作「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論序説」のうち「言語」と


「共同幻想論」の二つは読んだが、正直言えば何がなんだかわからなかった。


自分のような人間がこんな事言ったら畏れ多いが、優れた思想は汎用性がある。その思想を


土台に次代の人は思考を組み立てていくのだ。アリストテレス然り、ヘーゲル然り、フロイト然り


であるが、吉本の「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」が発表され、四十年も経っている


のに、未だ「共同幻想」や「対幻想」の概念が一般化しているようには思えない。もっともそれだけ


難解であるのかもしれないが。それと僕には「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」はどう見てもト


ンデモの部類に思えてならない。「共同幻想論」の延長上に「マス・イメージ論」があると吉本はいうのだ


が、なんだかねえ。という気になってしまう。


それはそれとして「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」について著者がクレバーな解説をしてくれ


ているのでメモしておこう。「言語にとって」はあんまり良く読んでいないので「共同幻想論」ついての


橋爪の理解を書いておこう。(と言っても理解してるわけではなく単に字面を追っているだけなのですが)


(1)フロイト

  

 共同幻想論には自己幻想、対幻想、共同幻想という三つの概念がある(これが唐突にあまり説明もなく


 所与のものとして出現し下々の者は面食らうのだが)自己幻想と対幻想は近しいが、共同幻想は前


 二者と逆立ちしている。この先行研究がフロイトである。欲求や性欲のようなもの(リビドーか?)は


 人間にあっては常に抑圧され、昇華、変換がおこなわれ意外な形のものになってあらわれてきてい


 る。意識や行動の下の目に見えないものを分析する手法をフロイトは持ち、吉本も同様の手法があ


 る(ここはよくわからない)。フロイトに対の概念まではあるが共同に関しては希薄。


(2)デュルケムと物理学


 デュルケムの「集合表象」。個人ひとりひとりの意識がある。それを超えた「集合」というレヴェルが


 あり、個人が集合したときどの個人にも属さないプラスアルファの要素が加わる。物理学にも同様


 の公式がある。社会というものは個人にはない何かが付与されたものだ。この考えが吉本と似てい


 る。


(3)ヘーゲル


 弁証法的思考が吉本にはある。例えば、自己幻想、対幻想から共同幻想が発生する。


 だが共同幻想(国家・法律・宗教?)がなくても人間(大衆)はやっていける。


(4)吉本のインセスト・タブー(近親相姦の禁止)と構造主義の相違


 吉本によればイセスト・タブーは人間に内在するものではなく、社会が家族に課したもの、共同


 幻想が成立して初めて近親相姦禁忌が生まれた。構造主義では近親相姦禁忌はこれ以上、


 解析することのできない人間に内在するものとされている。


よく意味が分からないがこんなところだと思う。あまり難しすぎて頭が痛くなった。


その他には橋爪はオウムや三浦和義事件の際に吉本がとった立場を支持している。ようするに


徒に感情論に流されずに司法による平等をどんな人間にも貫かなくてはならない。という思想だ。


それはそうなのだが、三浦和義の場合、殺人未遂教唆は有罪になったし麻原を感情を抜きにして


見れるかというとただの「大衆」である狭量な僕にはきついです。


付録の吉本隆明はメディアであるで吉本に対する批判を述べているが、僕にはそこまで追う脳みそ


がないのでこの項はこれでおしまいにしたい。