横尾忠則が自分のおそらくは唯一のテーマである死について語った本。
でもネタが今まで読んだ本と被りまくりで食傷気味になる。母親の幽霊を実際に見たことのある人
なので、いくら近代的合理主義を説いても仕方がない。ある時は仏教の涅槃、ある時はスウェデンボルグ
の死後の世界と統一性がないが、「直感」を信じている人なのでスゥエデンボルグとお釈迦様を並べたって
整合性がまるでないじゃないかと言ったてしょうがない。
肉体時間だけがわれわれに与えられた生の時間だと思っていたのが、永遠に生が存在することを
知ると、自ずと生き方が変わる。現界と霊界(さらに神界も存在する)を行ったり来たりしながら、肉体
と霊体を脱いだり着たりしながら生き続けるとなると、かなり方針を変えた生設計を立てなければならない。
この輪廻転生を繰り返しながら最終的には涅槃にはいるという。もうこの寸善尺魔の現世に生まれ変わる
必要がないというのだ。お釈迦様が目指した境地である。
まあここら辺が横尾の死に関する思考の核心かもしれない。
僕自身は死後の世界がどうしたこーしたとかはほとんど興味がない。まあ多くの人が考えるように死んだら
灰になって何も残らないと思う。若い頃、死の想念に捉われると怖ろしくて仕方がなかったが、年をとって
くるともっと怖ろしいことがいっぱいあるのが分ってそれどころではなくなるし、死後の世界がどーだとか
少ない脳味噌で考えきれるわけがない。大それたことはしないほうがいい。
暇つぶしに読むのにはいい本かもしれない。
いつも思うが横尾忠則ってまるっきり「女」のことが思考の埒外である。これは本当に不思議だ。
唯一の収穫は「心霊のポップコーン」という三島による横尾忠則論があるのをこの本で紹介している
ことだった。全集を取り出して探してみると確かにあった。
70年以前の横尾の意匠の一つだった「土俗」について論じている。短文だが三島らしい明晰な
筆致だ。