正月休み、たまには芥川龍之介と思って「或る阿呆の一生」の頁をめくってみたが、入り込んで
読むことはできなかった。芥川が自殺した年に書いたアフォリズムや走り書きの断片を集めた
作品で本屋の二階で夕暮れ時に梯子に乗り、洋書を探していてふと、階下を見ると人や店員
がみすぼらしく小さく見えて「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という感慨を持つ。実体験とし
て芥川がこんな格好いい感想を持ったかどうか分らないが、もっと僕たちの人生は頓珍漢で滑稽で
陰惨なものだと思う。最初からボオドレエルに較べる代物ではない。十九 人工の翼 でアナトール・
スランスがどうのこうのでもう読む気がしなくなって、次に読んだのが色川の「善人ハム」だった。色川
武大は駄目男の兄貴分のようで好きなのだ。人間に駆け引きがないからいい。文章も技巧にかける
がその不器用なところがいい。取り立てて際立ったストーリーがあるわけではない。どこまでがエッセィ
でどこまでが小説か判然としない短編。
いつもなら、ストーリーをしつこく書くのだが面倒くさいので、要は町内に人のいい無骨な肉屋がいて
戦争に度々出かけて勲章まで貰った。だが肉屋の善さんは戦後、結婚するでもなく肉屋をするでも
なくブラブラしていた。そのうち麻雀屋などもするが検挙されてしまう、その後は町内の雑役をして
生活の糧としている。ある時、善さんの無為の理由がわかる。召集された軍隊で中国の農民を上官
に命令され殺してしまう。勲章をもらった兵隊は妬まれるのだ。
「ーああ、自分の一生は、これで終わったな、そう思いました。やってしまった瞬間にね。へへへ、どう
いうわけかそう思っちゃった。自分はもう、何もできないな、って」
そのうち何年かたって臓物屋を始める。苦行のようにリヤカーに自転車をつけ坂道を登っていく。
また、十年くらいたって五十を超えて善さんは子持ちの女性と再婚する。
(略)彼も、やっと普通の市民の暮らし方をすることを、自分に許可したようである。
ただそこにくるまでに、実に長い年月がかかるのである。そこのところが、勇士であり、善人である証拠
なので、捕虜を殺そうが、豚箱に入ろうがそんなことに関係なく、そうなのである。
まあここがこの短編のハイライトだがおまけががある。また十数年すぎて六十を過ぎた善さんは麻雀で大負
けして自棄酒のウィスキーを飲んで急性アルコール中毒になる。てっきり死んでしまうと思った奥さんは善さ
んにこう言う。
「ひと足お先に向こうへ行ってくださいね。あたしもまもなくまいります。それで、向こうでまた二人で暮らしまし
ょうね」
奥さんも並外れた人だが善さんは三日臥せって快癒してしまう。ま、そんな話だ。
野間宏とか井上光晴が中国で捕虜を殺した話を扱えばもっと大変なものになってしまうだろう。僕自身、そ
の事についてはなんとも言えない。この小説でそれを云々してもしょうがない。ただ奥さんの死んでしまう
旦那を勇気付けようとして言った
「ひと足お先に向こうへ行ってくださいね。あたしもまもなくまいります。それで、向こうでまた二人で暮らしまし
ょうね」
という台詞は芥川龍之介のボオドレエルはどうたらこうたらよりも気持ちが暖かくなった。
小説の効用はこういう事ではないでしょうか。