種村季弘が2003年に70歳で出した本。いわゆる東京散歩本。サライの連載で三十の
東京の街を徘徊している。澁澤篤彦がスーパー・インテリと呼んだだけのことはあり、そ
の博覧強記は凄まじい。僕も東京を散歩していてこの本に書いてある処はほとんど歩いて
いるがこんなに素養がないので寺社などみても謂れが分らない。馬鹿はただ歩いているだけ
だ。例えば「大塚坂下町儒者棄場」であるが、江戸時代の儒学者の墓所がひっそりと豊島御陵の裏手
にある。僕も行ったことがあるが浅学非才の者には整理されていない草生す地所に墓が何基かあるだ
けのつまらない場所である。儒者の墓所なのだが「廃場(すてば)」と呼称する。その由来について記述
がある。
護国寺から雑司ヶ谷に向って目白台寄りにかっては早稲田関係の文士学者が多く住んだことが
ある。たとえば窪田空穂(歌人・国文学者)がいた。大町桂月がいた。なかでも紀行作家の桂月は
『東京遊行記』(明治三十九年・1906)の著者だけに、自宅近辺の音羽・護国寺界隈をまめに歩いて
消息に通じている。わたしも儒者棄場の由来を桂月の説明ではじめて知った。
つまりこうである。仏式や神式の葬儀はどなたも見なれている。ところが江戸の儒者たちは、日本人
があまり見なれていない儒教の葬儀を行った。桂月によれば、儒葬というのは「その様、屍骸を棄てて
帰るが如きをもってなす」。死体を置き去りにしていったのである。「無知の民」には、それが死体を遺棄
していくように見えた。そこで儒者廃場と称された。
という事であるらしい。それにしても大町桂月の「東京遊行記」なんて僕など一生手にとることなどないだろう。
種村季弘は何冊か澁澤龍彦経由で読んだ。友人たちの評価は独文学者で澁澤と同じようなことを書いてい
る奴という評価だった。確かにその通りで両者ともヨーロッパ志向で悪魔がどーだとかマンドラゴラがなんたら
とか書いていた。澁澤が翻訳家とエッセイストに飽き足らずその他の者になろうしたが種村はそのような欲は
なかった。種村は昭和8年生で澁澤より五つも下だが僕はずっと「タネさん」のほうが年上だと思っていた。
風貌もおっさん臭く澁澤龍雄がなりおおせた澁澤龍彦の美少年振りなどない。知的好奇心が健全な人格を
損なうことのなかった人で、澁澤や矢川澄子に対する面倒見の良さなど円満な性格を物語っている。とは
言っても文章からの印象で本当はどうだかは知りませんが。
この本で徘徊している東京は、碑文谷、目黒、品川、森ヶ崎、人形町、上野、深川、亀戸、築地、根津、
柴又、北千住、大塚、板橋、池袋、愛宕山、本所・両国等々である。
種村の散歩する場所は場末(特に池袋の常盤通り近辺などいまでも夜はちょっと怖い)でニ業地、三業地
だったところが多い。そしてその後に一杯やるパターンが実にいい。
目黒不動尊は、車社会の喧騒のなかの静けさを久方ぶりに満喫させてくれた。
帰途はまた中目黒に戻り、むかし行きつけだった目黒川沿いのモツ屋「ばん」で喉をうるおした。
散歩して地元ではないちょっと腰の落ち着かない飲み屋で一杯やるこれが散歩の醍醐味である。
種村の散歩は現実の場所から始まって、故事来歴を豊富な読書量で探ることにより、別の世界を徘徊
することになる。そして我に還り散歩は終わる。こんな芸当は種村の豊富な読書量によるものだ。
散歩本の定番、荷風の「日和下駄」「断腸亭日乗」、「江戸名所図会」、矢田挿雲「江戸から東京へ」、
三田村鳶魚の本などは名前くらいは知っているが、「武江年表」「兎園小説」「遊歴雑記」「八笑人」「東京
年中行事」「新新江戸鹿子」「深川珍者考」「明治の東京」「藤沢清造貧困小説集」等々などは見たことも
聞いたこともなく一生僕などが手にとることがないだろう。
例えば「本所両国子供の世界」であるが、現実の場所から観念・思索の世界にすぐ入り込んでしまう。
柳橋を渡った。
神田川の柳しだれる川岸の船宿、川面にもやう観光船。昔は観光船ではなく、ここ柳橋下から吉原ま
で猪牙船が出た。
それから東が両国橋。橋を渡ると両国だ。
ずいぶん変わった。子供の頃の記憶では、両国橋のまっすぐ先に旧国技館の円屋根が見えた。その
跡は、十八階建ての両国シティ・コアビルになっていて、「ももんじや」(猪料理)のある十一階建てや
KSDビルと肩を並べている。
両国橋を浅草橋側から見晴るかすと、橋を望遠鏡にして向こう岸をさかさまに覗いているような気がする。
記憶の遠近法のせいで、川向こうが小人国みたいに小さく小さく見えるのだ。たぶんあちら側に幼い時の
記憶が埋めこまれているせいだろう。
いい文章だ。記憶の遠近法のせいで、川向こうが小人国みたいに小さく小さく見えるのだ。この見事な導入
で散歩は現実のものから追憶、想像、思索に変わっていく。でも散歩ってそうではないか。これほどの知識
がない人間でも実は散歩は追憶や思索の行為ではないかと思う。
澁澤もそうだが誰でもある年代になってくると日本的なものや江戸・東京が好きになるようだ。種村は文章
も偉そうなところがないし、食い物のウンチクをあーだこーだ言わないからいい。
ちなみに種村季弘は2004年に71歳で亡くなった。