いづくへか                矢川澄子 | やるせない読書日記

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 本書は既存の作品集に収録されていない矢川澄子のエッセィを収録したもの。表題のいづくへかは

 

与謝野晶子の

 

 

  いづくへか帰る日近きここちして

 

 

           この世のもののなつかしきころ 

 

という歌に拠っている。この歌の心境のとおり多くは晩年のものである。       

 

  矢川澄子を知ったのは澁澤龍彦の前妻であったことからだ。澁澤とは昭和三十四年(1959)澁澤三

 

十一歳、矢川澄子二十九歳の時に結婚。同棲はその以前からと思われるが昭和四十三年(1968)およ

 

そ十年の結婚生活の後、協議離婚。澁澤は翌年、結婚。矢川は独身のまま平成十四年(2002)に自死

 

した。

 

  癌を病んでいたらしい。

 

 

 女性に一生幻想を抱いている男はまずいない。三十かおそくても四十くらいになれば女がどういうもの

 

か実体験として分ってくる。少女時代の(それも仮面なのだろうが)弱々しさとかやさしさとかは婚姻して

 

生活して主に子供を生んで育てることによって失われていくが「不滅の少女」矢川澄子は一生、少女とし

 

ての感性を失わなかった。

 

  不器用さと痛々しさを含んだ感性だが。

 

 少女について矢川は次のように書いている。

 

 

   乙女と婆ァ-   いや、ここはやっぱりわたしなりの使いなれたことばに置きかえよう。すなわち、

 

  少女と老女。両者に共通するものは何か。

 

  大ざっぱに生物学的相違からいえば、破瓜以前と、閉経後と。妻になり母になりといった表現はあま

 

  り用い  たくないのだが、いずれにせよ、婚(まぐわ)い、孕み、生み、育て、といった種族維持のた

 

  めの繁殖の義務  からは当面解放されているという点ではどちらもおなじであろう。

 

  女性にかぎらず、少年期と老年期と。その間にはさまる三、四十年というものは、つめたい言い方を

 

  すれば、ヒトはただただ自然の盲目的な意志につき動かされて生殖のいとなみを繰返しているに

 

  すぎず、それだけならばまだいいものを、幸か不幸か文明化された社会では、そうした生まの獣性を

 

 

  取りつくろうためのもろ  もろのペルソナをおしつけられ、おふくろとかおかみさんとかウカレメとかミ

 

 ソカメ(味噌・甕ではありません念のため)とかいった役割をせいいっぱい演じながら、がたがたとせわ

 

  しなく時を過ごすというのが、少なくとも二十世紀中葉までの大方の女たちの生き方であった。              

 

 

                                             使者としての少女

 

 

 この後に矢川は女性にとって月経がいかに面倒くさくやっかいなものであるか書きつぐ。(このことにつ

 

いて女性自身が書くことは稀ではないか)要するに少女は生物学的、社会的に虐げられた存在である女

 

性から自由な存在なのだ。

 

 

 女性が虐げられた存在だから、じゃあ今までの損害を取り戻すべく復権しましょう。経済的にも男性と

 

同等で子供を生 むけれど共稼ぎしたいから保育園や学童クラブに預けて、ついでに姓も自分の姓を男

 

に名乗らせて旦那の親は老いたら特養老人ホームで自分の親も子供の育児の用がなくなったらうっとお

 

しい。という愚劣には矢川澄子は縁がない。も ともと自分をトーマス・マンの「よく転ぶ人たち」になぞら

 

えていて生きることの「生の獣性」に馴染まなかったように思える。

 

 

 シモーヌ・ベイユについて「彼女の最後に行きついた思想とは、決死の男たちに倚りそって運命を共に

 

する、決死の看護 婦たちの集団がなければならないというものであった。」としている。どういう思想的

 

バックボーンがあるかわからない一般に流布している男女同権の風潮と「決死の看護婦の集団」とは

 

大きな隔たりがある。

 

 

 矢川には「おにいちゃん    回想の澁澤龍彦」という本があり(古本でかなりの高値になっている)澁

 

澤との想い出を語っているが、その中で何回かの堕胎を明らかにしている。伊達や酔狂で少年と少女

 

文学を志したのではないのだ。

 

 

 澁澤龍彦の「サド侯爵の生涯」の献身的なルネ侯爵夫人には矢川澄子が投影しているように僕には思

 

えてならない。

 

  長い間、澁澤龍彦と矢川澄子が離婚した理由がわからなかったが加藤郁乎の「後方見聞録」にその

 

顛末がある。ある時期からの澁澤龍彦の家のどんちゃん騒ぎは有名であるが(自分達は一角の人間だ

 

という自惚れもあったのだろうが)こういう 事はあまりよくないことを引き起こす。

 

 

 その前夜に椿事はふたたび起きた。例によって主客ともに和洋チャンポンの酒に酔い痴れ、いつしか

 

亭主は着流し姿のまま酔い潰れ寝入ってしまった。男女の機微は当事者だけの秘密にしておけばよい

 

ので、改まってまでしたためるのは野暮と承知している。しかしこの夜の一件をそのままにしておくとわれ

 

らの間につまらぬ三角関係でもあっ  たかのように勘ぐられるのも小癪にさわるし、亡友の名誉のため

 

に真実を少々書いておく。夫人(矢川のこと)は吉田 一穂の童話集『ヒバリハソラニ』を取り出して私を

 

驚かせた。喜んで一穂の話をしているうち酒宴の片付けをする夫人 を抱き寄せた。かたわらには夫君

 

が泥のごとく眠りこけている。全裸にならなくても慇懃を通じる方法はあるから、そうした応対率直の方法

 

で夫人を愛した。(略)澁澤龍彦がかたわらの二人の愛の行為にまったく気付かずであったとは思われな

 

いが、彼はぴくりともせず眠りこけて、みせた。紳士のたしなみか、友誼を重んじるダンディズムか、単な

 

狸寝入りだったか。いや、その五年後に二人は離婚するまで彼は一度としてこの夜の出来事について

 

口にしたことは ない。

 

 

 澁澤はこのことを許さず矢川は離婚されてしまった。加藤はその出来事を「魔が射したとかいいようが

 

ない。」と云っている

 

 

 

 確かにこういう状況では止むを得ないかもしれない。第三者にはなんとも言いようがないことだが。

 

 

とに角、三十九歳で矢川澄子は自立して生活するようになる。今までよく知らなかっが翻訳家(独語・英

 

語)として矢川の仕事は量も多く一家を成している。離婚によって作家・翻訳家として矢川澄子は自立す

 

ることになったのだ。

 

 

 

 集中、「旅は道づれ」というエッセイで飛行機で同乗した言葉の通じないイスラエル人の祖父と孫のた

 

めに折鶴をつくるところなど矢川澄子らしい。また死去のため絶筆になった「わたしの一世紀」などもおも

 

しろい。

 

 

 ただの読書としての矢川澄子は僕にとってどうも気恥ずかしい。揶揄を含んだ言い方ではなく女の人の

 

感性にあう筆致だと思う。

 

  いい年をした男が「星の王子さま」を読むようなものだ。