本来は書評がメインのはずなのだがちゃんとしたものをまだ
一編もない。明日、やっと「鹿鳴館」があがるので見てや
ってください。
吉本隆明も若い頃読んでその後ペンディングになっているけど
吉本についても少しづつ書けたらと思いますが。
「宗教論争」という吉本隆明と小川国夫の対談で( 最後の対談が10年前位で
麻原が逮捕された直後)吉本がオウムに関する意見を開陳していた。
吉本の意見は良く判らないが
(1)オウムを絶対的には評価はしていない。得にサリン事件は無差別
の殺戮としてよくない。
(2)麻原はヨーガの思想家としては優れている。器が大きい。
悪い意味で日本に精神的傷痕を残すだろう。
(3)オウムが反社会的だというがお前たちは勉強していないから
判らないが、原始キリスト教でも親鸞でも極めて反社会、反体制
的だった。
(4)オウムに走る青年の気持ちは判る。解脱したいとか不死に憧れる
気持ちは誰にもある。
こんなものだったと思う。
僕はオウム事件がいつ起きたか正確な年も忘れてしまっている。
吉本の言ってる事はいまでもよく解らない。サリン事件での被害者や
家族が麻原を評価している吉本を批判するなら解るが、他の奴が文句を
言っても俺は平気だと言い方も吉本らしい。
僕は正確な状況分析もなくしよく解らないが、警察権力が
強かったら オウムは潰されていただろうし、吉本が評価するようには
世間の誰もオウムなどは評価していない。誰もあんな事、やりたく
ないですよ。
オウムに入る一つの動機に他人とは違った一歩優れた存在に
なりたいという 心理的動機があるがこれが実に下らない。
何故、修行するのか。悟って他人より秀でた存在になりたいのだ。
原始キリスト教でも原始仏教でも集団に階級なんてなかったが
オウムは階級 づけが大好きだった。
日常が耐えられず安易にホームレスになるとそこはもっと弱肉強食の
ひどい社会だったりするのと似ている。
あの犯罪やオウムは戦後社会に生きる僕たちが生んだものとか言う、
新聞の紋切り型の言い方も嘘だと皆知っている。
取り締まる側が甘かったからに過ぎないと皆思っている.
大きな精神的禍根なんか残してはいない。少なくても僕は。
オウムの被害にあった方たち以外、
忘れているよ。普通の人は。