記号としての女子高生 | やるせない読書日記

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 朝、寒いので電車通勤が続いている。

 例外はあるのかもしれないが何故、女子高生は生足なのか?
どうもこれがよく分からない。
 東北地方の寒いところでも女子高生は生足(なんで「なまあし」
で変換できるんだ、怖ろしいな。)らしい。
 
 どうして画一的なスタイルに女性は馴染んでしまうのか?
この寒さに東北や北海道でも「女子高生」は素足だ。寒いとか
健康とかは度外視して女子高生という規範の中では誰でも生足なのだ。


 なんでこんなに簡単に女は同じものになってしまうのか。

 フェミニストは怒るかもしれないが、女は同じなのだ。
よっぽど強い心理的な紐帯が女性の間にない限り日本全国どこでもこの
寒いのにセーラー服だったら生足(辞書にないぜこの言葉)という
定番が成り立つわけがない。

 もし女子高生がファッションとして認識されるのなら必ず他とは
 違ったり競い合うという意識が織り込まれるはずだ。

 でも女子高生の制服は正しく均一化でしかない。

 何に対して均一なのか。

 よく分からないけど、短いスカートってわるいもんじゃないからいいか。