僕は生きながら映画に葬り去られてというほど映画は見ない。ごく常識的な本数しか見ていないし、マンガしか読まない人同様に映画しか見ない人間も信用しない。
だが、アマチュア映画は作っている。映画なんて5000本見たって馬鹿な奴は映画なんてとれない。僕はクラプトンのCDをほとんど持っているが彼のようにはギターを弾けない。
ビスコンティやベルイマンはとても映画なんていうジャンルだけで解析できないそこが好きだ。三島は映画を良く見たし出演もし製作もしたが、俺は映画なんかに感化されたことは一回もないといっている。文学者としての矜持だろう。
パゾリーニは若い頃観て多大な影響を受けた。
パゾリーニは映画の手法より詩や文章に近い方法で映画を作った。母が必要なら自分の母を出す。詩の中で自分の母を描くように。
だがそれが全てうまくいっているとは限らない。「アポロンの地獄」以降その方法は馬脚を現してしまった気がする。
思想的な深さはとてもゴダールなんかは及ばない。
「アポロンの地獄」はフロイト理論の正当な受容が確認できる。小説でもこれほど見事にフロイトを血肉化し描ききったものは20世紀にあったのだろうか?
とまあそんな感じで不定期に少しづつパゾリーニ関して書いていきますのでよろしくお願いします。
オニムバス映画「ロゴバグ」の一編。1962年製作。1963年公開。 オーソン・ウェルズ扮するアメリカの映画監督がローマ(?)でキリストの映画を撮る。キリストのほかに二人の罪人も処刑されるが罪人役の俳優のうち一人がチーズの食べすぎで十字架にかけられた時に実際に死んでしまう。他愛のない話だ。
処刑は野外ロケ、死んでしまったキリストを十字架から降ろす場面はスタジオで撮られている。
十字架からキリストを降ろすシーンはおそらく宗教画をなぞっているのだろう。とても美しくカラーで野外シーンは主にモノクロで撮られている。
オーソン・ウェルズに新聞記者がインタビューすると分けの解らない返答をしマンマ・ローマの一節を読んだりするのがシュールで面白い。フェリーニをどう思うかと聞かれると彼はダンサーだと答える。
撮影の合間にエキストラ達がエキストラの女にストリップをさせて楽しむ場面があり主人公は十字架に括り付けられ見ている。ここも面白い。冒頭、エキストラ達が太陽は独りぼっちに合わせてツイストを踊っているシーンは時代といかにもイタリアを感じさせる。
カメラワークも正統派のタッチ。パゾリーニ独特の手ぶれする画面、顔のアップ、演技ではなく素の顔で笑う俳優、無造作な構図はまだ見られない。
役者も通常の芝居をしており見易い映画だ。
この映画はフェリーニのタッチに良く似ている。パゾリーニはあの独特のタッチを生み出さなかったらフェリーニの亜流として終わっていたかもしれない。
この映画はカトリック教会から不敬罪で訴えられパゾリーニが懲役に服した。
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