お久しぶりですうお座やしの木

 

前回の記事を書いたときは、まだ梅雨の時期だったのに、

ここ数十年で最も短いと言われつつあっさり梅雨明けをしてしまいました。

 

季節の変わり目はいつも突然で、

低気圧と頭痛に悩まされていたかと思えば、気づかぬうちに

照り付ける日射しと熱気に悩まされていたという・・・

 

日本の夏、、がやって来ました。

アスファルトから立ち昇る熱気が空気に溶け込んだ、土臭い、太陽の匂い

それは梅雨の時期にはなかったものです。

 

夏の急な訪れとともに、

(外的環境の変化と自身の境遇の変化を勝手にかこつけてしまいがちですが)

自身の会社員生活も、残るところあと1週間、5営業日となりました。

 

ここ数週間は、有給をちまちま取りながら、うまい具合にわずかな仕事

を進めつつ、留学準備をちょこちょこしてましたメモ

でも最終週は、ちゃんと前日(仕事がなくても)働きます。

少なくとも、勤務はします!

 

今日が最後の月曜日、火曜日、、、とカウントダウンが始まると、

なんとなくそわそわして休んでられなさそうだから。

 

この週末までに、先月の記事で

「課長、部長、人事、先輩、同僚、同期」に退職の旨を触れ回ってましたが、

そのあと、「後輩、1年生、ちょっと気まずい関係にあった先輩、前の部署の部長」

にご説明しました。ランチや夜ご飯をともにしながら。

 

退職者となったと伝えるたびに痛いほど意識するのが、

誰もが本来的な人間そのものとして接してくれるほど、寛容的になること

――つまり、「もう自分は部外者であること」。

 

利害関係のない者に接する態度で(例えば友人、近所の人、ちょっとした知り合い

に向けての態度)、接してくれるのです。

(悪い言い方をすると、どうでもいい、存在となる)

 

仕事仲間との人間関係の在り方を痛切に意識してしまいます。

仕事仲間でなくなった瞬間、人間性が垣間見え、初めて胸に秘める

秘密を共有してくれた人もいます。もちろん私も、そういう人に対してはそう

なっていたことでしょう。

 

特段親しくもない人、そして中には気の合わない人もいるかもしれないが、

仕事だから、起きている時間の大部分を否応なしにその人ともに過ごさなくては

ならないといった強制感が、仕事の人間関係をぎくしゃくさせてしまう一因かも

しれないなと思いました。

 

それは日本の職場環境だから?私の職場だから?

仕事の人間関係について、ポリシーを持っている人が少ないから?

それはわかりません。

 

ただし、仕事という枠組みを越えてもなお、一緒にいたい、繋がっていたい、と

思える人に、私は数人出会うことができました。

そしてそれは、不思議なことに、(同期以外では)同じ部署で、同じ仕事を協働

した仲間であったのです。

 

みんながみんなにそう思えるとは限りませんが、同じ業務を共に乗り越えて、

紆余曲折の過程の中に感情的な対立はあったかもしれないけれど、それでもともに

時間を過ごし汗をかいた人、そういう人とは、やっぱり、利害関係のない友人とい

う関係になった時、もっと自由に、楽に、そして、仕事をしていた時と同じく真剣に、

向き合える気がしました。

 

この土日は近くの百貨店に、最終勤務日のご挨拶のためのお菓子を買いに行きました。

小さな組織ですが念のため、100人くらいには渡せる分だけ洋菓子を買いました笑

ちょっとやりすぎたかもと多少後悔気味なのですが、驚き

最後くらい、パァッとやっていいでしょう。

 

そのくらい、お世話になったのだから。

いろんな意味で、自分が曲がりなりにも3年3か月、過ごした場所なのだから。

自分への餞との意味でも、幸先よくパァッとやろうと思います。