1616(元和2)年、徳川家康は駿府城で75歳の生涯を閉じました。
駿府城は駿河国安倍郡府中、現在の静岡県静岡市葵区にあった城です。
家康の死去で江戸、駿府の二元政治の時代は終わり、家康直属の旗本たちが移住してきた江戸の場所というのが、江戸城に近く富士山も見える本郷台地南端部、現在の駿河台のあたりだそうです。
ほかに江戸幕府に関係のある地名として築地があります。
現在の築地の地名は、旧木挽町海岸を埋め立てて武家屋敷がつくられたことに由来します。
田に盛り土をして宅地造成をすることを築地工事といいます。
1657(明暦3)年の明暦の大火で焼失した西本願寺(現在の築地本願寺)の代替地として、神田上水下流部の拡幅工事の際に駿河台から供給された土砂によりつくられた土地なので、築地の地名がつけられました。
築地には寺院や墓地のほかに武家屋敷が数多く建てられました。
また、お茶ノ水の地名も江戸幕府に関係します。
お茶の水は千代田区神田駿河台を中心とする一帯の地域名です。
神田上水の掘削工事がおこなわれた際、本郷側、神田川の崖の中腹から出た湧水の水質がよかったため、この水を将軍のお茶用の水として献上したのが、お茶の水の地名の由来だそうです。