日本人は、カレーが大好きです王様

 

もともと洋食の花形だったカレーが、これほどまで庶民に普及したのは、手軽に食べられる工夫によるところが大きいです。

 

明治39(1906)年、東京神田の一貫堂から、「カレーライスのタネ」なるものが発売されました。

 

熱い湯を注いで溶かし、温かいご飯にかけるだけで食べられるというもの。

 

これは日本初のインスタント食品とも言われています。

 

手間のかかる料理だったカレーが手軽に食べられるようになりましたカレー

 

大正3(1914)年には、東京日本橋の岡本商店が「ロンドン土産即席カレー」を発売しています。

 

これは、今日のカレールウの原型です。

 

缶入りで、15人前が30銭、25人前が40銭でした。

 

ちなみに当時、お店でライスカレーを食べると、1皿5~7銭だったようです。

 

ところで、明治5年に「西洋料理指南」という料理本が出版されていて、そこにカレーの作り方が紹介されています。

 

その材料として、現在ではまず使われないものが入っているのです。

 

ネギ、ショウガ、ニンニク、鶏、エビ、鯛、ハマグリ、そして赤ガエル……

 

驚くことに、カエルがその材料に入っているのです泣

 

明治の人々は、本当にカレーにカエルを使ったのでしょうか??

 

 

国際的マラソン競技が行われるようになったのは、1896年アテネで第1回オリンピック大会が開催されてからのこと!!

 

紀元前490年ペルシャの大軍がアテネの北東40キロのマラトンの野に上陸作戦を行ったとき、アテネは将軍の奇襲により大勝します。

 

その知らせを、古代オリンピック競技の選手であった1人の戦士が軍装のまま城門まで走り続け「わが軍勝てり」と絶叫して息絶えたという故事があります!!

 

その故事から、第1回オリンピック大会にマラソン競技を加えることが提案され、マラトンの古戦場からアテネの競技場まで走る「マラソン競技」と名付けました。

 

第1回から第7回までは、走る距離は約40キロと一定ではなかったといいます。

 

マラソンの距離が42.195キロになったのは、1924年第8回パリでの開催から。

 

1908年の第4回ロンドンオリンピックのマラソンコースが42.195キロだったことが基準になっています。

 

0.195キロという中途半端な距離がくっついているのは、当時のアレキサンドラ女王の席の正面にゴールをつくったからだといわれています。

 

オリンピックだけでなく、国際的なマラソン大会ではどれも走る距離は42.195キロと決められています。

 

オリンピックはもともと、主神ゼウスを祭る祭典行事として行われていたんだそうですキラキラ

 

右利き左利き、やはり右利きの方が多いですねバイバーイ

 

左手は心臓を押さえる、つまり護身のために使われ、右手は武器をもって攻撃するために使われていたことが、右利きが多い理由かもしれません。

 

わたしたちの手を比べてみると、長さと太さは右手の方が勝っていると思います。

 

テニスの選手の場合ですが、1から1.5センチメートルほど右手の方が長いといわれています。

 

ラケットも右手なら片手で振れますが、左手だと難しいですよねラケット

 

昔、神職や公家は笏(しゃく)という板を持っていましたが、これは左手では持たず、右手で持っていました。

 

右手で持っていれば、左側にさしている刀を抜くことができないからだったといいます。

 

武士は、日々戦いともいえる環境におかれていたため、右手を押さえることはなく、ひざのうえに両手をさげて挨拶をしていました。

 

これも、襲撃に遭ったときにすばやく刀が抜けるように、だったんです刀

 

手、というのは、感情を表しやすいからだの部位だといえるでしょう。

 

別れの挨拶をするときはサヨウナラと手を振ります。

 

挨拶するときなどには握手をします。

 

なにげなく組み合わされた両手には、人と人が敬意をもって付き合うための、無抵抗主義があらわれているといえるでしょう。

 

 

つむじは、頭のてっぺん付近にある毛が渦巻き状に生えている部位です。

 

ふつうはひとつですが、人によってはふたつあったり、3つあることもあります。

 

場所もてっぺんにあるとは限らず、頭頂部からズレたところにある人もいて、そこから、性格がひねくれた人を「つむじ曲がり」といったりもします汗

 

このつむじは、胎児の時代、妊娠中期にはすでにできています。

 

毛髪も体毛の一種であり、胎児の体毛は当初、頭からお尻に向かってまっすぐに生えていきます。

 

ただし、成長するにしたがって、左右いずれかに向かって斜めになります。

 

それは皮膚表面よりも、その下にある真皮のほうが成長スピードが速いために起きる現象です。

 

頭皮には、前頭部から頭頂部にかけてと、左右側頭部から後頭部にかけての2種類の皮があり、毛髪はそれぞれから生えてきます。

 

それぞれから生える毛は、最初はまっすぐでも、やがて前向きと下向きという流れをつくります。

 

そのふたつの流れが頭のかたちに合わせて丸くまとまろうとして、ぶつかった部分でつむじになるのですビックリマーク

 

ちなみに、つむじには右巻きと左巻きがあり、巻き方は人それぞれです。

 

ヨーロッパ人は8割が右巻き、日本人は右巻きと左巻きの人がほぼ半々ですにひひ

 

千葉県人の「天然ボケ」キャラクターのルーツを思わせる話がありますニコニコ

 

ボケといえば漫才ですが、そのルーツは室町時代にまでさかのぼります。

 

毎年新年に、天皇がいた禁裏という場所で行われた「千秋万歳」が起源といわれ、それが武家や町家にも広がりました。

 

江戸時代になると、各地から2人組の漫才師が新春の日本列島を歩き回るようになります。

 

江戸の町には毎年、「三河(愛知)万歳」がやって来ました。

 

しかし、来るのは「太夫」と呼ばれる主役1人で、相方の「才蔵」は江戸で求めるのが慣わしでした。

 

大晦日の夜、江戸・日本橋において「才蔵市」という「採用面接試験」を開き、そこで気に入った相方を探すのです。

 

実は採用するのに重要なポイントがありました。

 

それは、才蔵はいまの漫才でいう「ボケ」役であることビックリマーク

 

したがって、愛嬌があり、とぼけた容貌(あほ面ともいいます)でなければ務まらなかったそうです。

 

そのため、才蔵市には、見事なばかりのとぼけ顔をした男達がみな上総や房州、つまり千葉県からやってきたのです。

 

千葉県人は明るく解放的であり、陽気で遊び好き。

 

昔から人を笑わせ、幸せをもたらす県民だったのでしょう照れ

私の住んでいるところでは、小学校1年生で必ず朝顔育てます朝顔…どこの地域でもそうなのかな?

 

私が小学生の時も育てました朝顔

 

夏休み前に鉢ごと持って帰り、成長過程を絵日記に書くのが宿題でした。

 

朝顔というネーミングだけあって、花が咲くのはもちろん朝ですね。

 

朝顔の開花は朝日がのぼる前なので、朝顔は夏休みの宿題としてはもってこいの植物なんです。

 

朝顔は秋になるにつれて開花するのが早くなっているのを知っていましたか?

 

朝顔の花、朝日に反応して咲きはじめるようなイメージがありますが、実は違うからなんです。

 

朝顔の開花スイッチが入るのは、前の日の夕方夕暮れ

 

朝日ではなく、夕日が沈んで暗くなってくるのを感知して、そこから9時間~10時間ほどたってから開花するんです。

 

日本では夏から秋になるにつれてだんだん日の入りが早くなってきますよね。

 

朝顔の開花スイッチが入るのもそれにあわせて早くなります。

 

しかも気温が低くなればなるほどさらに開花時間が早まるらしい。

 

夏休みに観察している頃は朝早い時間に開花していた朝顔も、10月を過ぎると夜中に咲いたりするんだそうです。

 

長年観察してきたけど、知りませんでした。

 

大抵9月くらいには種ができて枯れてしまっていたような気がします。

千葉県は近年、最も変貌を遂げた県です。

 

幕張臨海新都心の完成もその変化のひとつキラキラキラキラキラキラ

 

これは新都心というネーミングからも想像できるように、自分たちは東京人と変わらないという意思表示なのかもしれません。

 

というのも、千葉県人の大半は「千葉都民」という人種で、東京に通勤・通学し、学校や仕事など何らかの形で、東京と深いつながりを持っています。

 

そのためか、「千葉都民」には郷土意識はほとんどありません。

 

千葉県は全国の都道府県のなかで、「地元に対する愛着の薄さは最低クラス」という調査結果があります。

 

千葉県民という意識も、土地のことばに対する愛着も、他県にくらべて薄いようです。

 

そんな「千葉都民」の大半が暮らしているのは北部の下総。

 

この地方は、江戸時代から江戸との交流が盛んだったところ。

 

計算高い人々が多いといわれます…

 

また、阿波からの移住者の子孫が多く残る安房地方の人々は、おおらかで積極的 笑顔

 

家族との絆や仲間との連帯感も強いようです。

 

 

 

 

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なっつ

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