午前2時にはタクシーを呼んだ筈なのに、床に就いたのは4時だった。
いや正確に言えば4時頃だったらしい。
翌朝家人がそう言っていた。
僕は憶えていない。
タクシーが来るのに時間が掛かったのは記憶にあるのだが。
どうやら帰ってから居間のマッサージチェアで転寝していたようだ。
8時頃、ベッドで目が覚めた。
張本さんを見ようとテレビを点けたら寝てしまい、起きたら9時半だった。
チャンネルを替えて日曜美術館を見ていたら、今度は知らぬ間に将棋になっていた。
井上慶太九段が出ていた。
2001年の棋王戦、僕はホテル・イタリア軒へ初めてタイトル戦を観に行った。
しかも主催者のご好意で控室で観戦したのだ。
それ程広くない和室には記者やカメラマンが5、6人居ただろうか。
今ならその10倍は居るのではないか。
結果的に羽生さんが防衛する、大切な一局だったのだが、当時は主催紙と専門誌以外にはそれほど注目されていなかった。
言ってみれば僕以外は皆顔馴染の将棋村の村民だった。
図々しい僕とは言え、よくそんなところで何時間も居られたものだ。
その日は新潟まで勉強に来ている棋士も居なかった。
立会人の井上さん(当時は八段だったか)は、大盤解説に控室での検討にと大忙しだった。
大盤解説の面白さも然ることながら、控室での記者を相手にしたより専門的な解説が、誠に丁寧で人柄がにじみ出ていた。
思い切って横から質問した僕にも(馬鹿は怖い!)、記者に対するのと変わりなく親切に変化を教えてくれた。
僕は大いに感動した。
それ以来、井上慶太九段は贔屓の棋士である。
優勢気味に進める井上九段を見て、僕は起き上がってシャワーを浴びた。
寝不足も二日酔いも消えて、頭がすっきりした。
朝食を摂りながら再び井上九段の指し回しを見守る。
早指しで鳴らす糸谷八段も、流石に持ち時間が切迫してきた。
歯を磨き、出掛ける準備をしながら、スルスルと敵陣に侵入しようとする井上玉を眺める。
この日は陸上競技場でラグビーを観戦することになっている。
飲み物やおやつやシートをバッグに詰めてテレビを消す間際、井上九段が投了する姿が映った。
敗戦にまで人柄がにじみ出る様だった。
さて、陸上競技場に到着。
ちょっと歩いて来れるところが有難い。
「北島忠治メモリアル、明治対同志社定期戦」
北島御大は上越市(旧安塚)の出身だった。
初めて生で見るラグビーは、期待以上の迫力と面白さだった。
まったくルールを知らない家人も楽しんでいたようだ。
試合内容も良かった。
得意のドライビング・モールで、スタートから明治が2トライのリードを奪う。
ワンサイドかと思われたが、同志社は相手のミスを確実に点にして差を広げさせない。
後半の中ほどでは同志社が連続トライでついに逆転、そのまま逃げ切るかと思われたが、明治が波状攻撃で迫る。
そして残り1分で明治の逆転トライが決まった。
威風堂々、引き揚げる明治フィフティーン。
今日はラグビーの事を書くつもりが、半分以上将棋の話になってしまった。
そういえば大逆転の試合内容も、午前中に観た対局と似ているかも。
そういえば勝った糸谷八段の体格も、明治の選手に似ているかも。