郵便物を何通か開封していると、中に「上越蓮まつり」の協賛広告募集の印刷物があった。
サッと読んで書類ボックスに入れようとして、「ん?」と手が止まった。
所謂二度見。
「東洋一と賞する、高田公園の蓮を愛でるイベントとして、云々」
誰が東洋一と賞しているんだろう。
観光客か、大学の先生か。
「世界的な植物学の権威、英国のジュモック・クサバーナ博士が東洋一と賞する」
とかいうなら分かる。
筆者を擁護すれば、「私が」、或いは「我々が」という主語を省略したのか。
この解釈はかなり無理があるが、日記などで「(私は)朝食後、花に水をやった」という様な書き出しもある。
この場合「私たち市民が東洋一と賞する」という意味だ。
しかしながら、市民が勝手に東洋一と褒めているという感覚は、ちょっと寂しい。
イマ風に言えば「痛い」。
それでは「賞する」というより「称する」だろう。
また「賞する」には「愛でる」という意味もある。
この場合の「東洋一と賞する」は、「私たちが日頃から『お前たちは東洋一の蓮だよ』と愛でている」ということになろうか。
しかしこうなると、今度は後ろの「蓮を愛でるイベント」とモロに重複して可笑しなことになる。
まあ結局「賞する」を「賞される」にする辺りが、落としどころというものなんだろうが。
それにしてもあまり賞される文章ではないなあ。
え?
仕事中にこんなつまらないこと書いてるお前も褒められたもんじゃない?
まあそうだけどね。
あ~、どこかに「つまらない文章を書く」という仕事がないかしら。
