笹井博士の自殺を受けて、一部著名人の批判がみられる。
自分の意見を言うのは構わないが、微妙な問題で他人を批判するときは、総合的な視野で物事を客観的に分析した上で冷静に行うことが必要だろう。
下の記事では、中村うさぎなるおばちゃんエッセイストが、笹井博士の死を「死ぬことで責任は取れない」と批判している。
まず、この中村おばちゃんは、笹井博士が死を選んだのは、武士の「切腹」を例に出して「責任を取るため」だったと思っているらしい。
しかし、果たしてそうだろうか。
1.笹井博士を非難するのは、いじめっ子の論理
このおばちゃんの批判に対して、「死者に鞭打つのは慎むべき」という反批判もあるらしい。
反批判をしたくなる気持ちはわかる。
それとは別の次元で、このおばちゃんの批判の根底には、思い込みによる大きな勘違いがある。
笹井博士の遺書の詳細は分からないが、報道によれば、遺族が伝えたという遺書の要旨は、「精神的に疲れ果ててしまった」ということらしい。
「死んでお詫びをする」といった趣旨の言葉はないらしい。
だとすれば、遺書が公開される以前に、多くの人々が推測していた通り、メディアのバッシングに心が押しつぶされたことを示している。
この時点で、笹井博士の頭の中には、責任を取るとか取らないとか、今後の打開策とかを冷静沈着に考えるなどの心のゆとりは殆んどなかったというべきだろう。
おそらくは、笹井博士の心情は、行き場のない状況に追い込まれた経験がなければ理解できないのかもしれない。
自殺自体を肯定はしないが、そもそも自殺をする人々の多くは、根が真面目という指摘がある。
おそらくは、報道で流れる笹井博士の映像を見ると、根は真面目な人だったのだろうと思う。
ただ、彼が、メディアなどのバッシングによって追い詰められ、自殺以外には考えられなかったという極限状態にあったことは、想像できる。
今となっては詮ないことだが、ただ一つ惜しいのは、笹井博士は、生きて万難辛苦に耐え、小保方博士を守るという道もあったのではないかとも思う。
ところで、このSTAP事件については、調べていくほど腑に落ちない点が多々出てくる。
STAP問題が持ち上がる以前、若山輝彦博士は、自身の手でSTAP細胞の作製に1回だけ成功したと言たいるらしい。
この騒動の後、若山輝彦博士の言動ブレと矛盾点を考えると、この博士の言動はとてつもなく怪しく見えてくる。
また、ネット上では、STAP論文の欠陥をブログで指摘したとされる「謎のブロガー」こと生命医科学研究センターの遠藤高帆情勢研究員も、若山博士との共同謀議の疑惑のウワサもあるという。
理研に自浄能力がないことは周知の事実だが、「若山・遠藤連携説」の真偽は、いずれ明らかにされることを期待したい。
2.笹井氏は本当のことを言うべき?
また、記事によれば、このおばちゃんは、「真相がうやむやになる」「本当のことを言うべき」などとも批判しているという。
しかし、これは、笹井博士が、不正に研究論文をねつ造したことを前提とした発言であり、少なくとも現時点では根拠のない侮辱的な批判だろう。
理研の内外の人的関係を調べていると、中村おばちゃんが考えているほど事は単純ではないように見える。
現時点で、STAP論文が不正だったかどうか不明で、また、STAP細胞研究の真偽の結論すら出ていない。
分っていることは、STAP論文不正説は、NHKと一部メディアが作出したねつ造記事に過ぎないということである。
このSTAP騒動は、門外漢が専門分野の科学者を、軽々に批判してはならないという典型例のような気がする。
話は飛ぶが、このおばちゃんの発言からメディアに流されやすい大衆心理を考えると、裁判員裁判制度の怖い一面を見た気がする。
『Techinsight 2014年08月10日16時00分
【エンタがビタミン♪】中村うさぎ「死ぬことで責任は取れない」。STAP問題、真相がうやむやになることを危惧。
エッセイストの中村うさぎが「不謹慎だ」との批判覚悟で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長の自殺に関してコメントした。
STAP細胞の検証実験の中間報告が目前に迫っていた今月5日、理化学研究所CDBの笹井芳樹副センター長が自ら命を絶った。「検証実験には影響しない」と理研は見解を示しているが、“うやむやになって中止になってしまうのでは?”という報道も出てきている。
8月6日放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)で水曜コメンテーターの中村うさぎは、“笹井副センター長の死で真相をうやむやにしてはいけない”と強い口調で述べた。
「死者に鞭打つようなことは慎むべき」。日本人にある古くからの倫理観は、自ら命を絶った者への疑惑解明の手が緩み、マスコミは追及を尻込みしてしまうことがある。
中村はこれを「おかしい」と強く否定。日本には“切腹”という伝統があり“死をもって責任を取るのは美学”というのがあるかもしれないが、死ぬことは責任を取ることではない―と言う。そして「ちゃんと生きて本当のことを言うのが、責任を取ることだ」と言葉を続けた。
一連のSTAP細胞論文における捏造・改ざんの研究不正について真相を語らずに逝ってしまったことに、不謹慎だとの批判は覚悟の上で中村は「卑怯だ」と断言した。
するとMCのふかわりょうが「責任を取るというより、追い詰められたのかも」と口を挟むと、追い詰められた者が人生の最後の場所に職場を選んだことに中村は疑問を呈する。まずは2週間ほど遅れるというSTAP細胞・検証実験の中間報告が注目されるところだ。
(TechinsightJapan編集部 みやび)
』(livedoor news)
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