ひのえうまのひにみことのりして あめのしたをして 桑(くわ)、紵(からむし)、梨(なし)、栗(くり)、蕪菁(あおな)等の草木をすすめうえしむ。これをもて五つの穀をたすくとなり
上記は、『日本書紀』(720年)持統天皇の条に記されており、「養蚕のための桑と繊維をとる紵(からむし)、梨(なし)、栗などの果実と共に蕪菁(あおな)の栽培を勧められている。蕪菁は葉をアオナ、根はカブラと呼び、飢を救う作物として重要視されていました。
【『正倉院文書』の記録からみる奈良時代の野菜】
正倉院には美術工芸品ばかりでなく、奈良時代の古文書が800巻近くも所蔵されており、一般的に正倉院文書と呼ばれ、その中には関根真隆氏によって正倉院文書の記録から奈良時代の食生活の状況を検討された「奈良朝食生活の研究」が著されています。
そして、本書には奈良時代の食料素材のうちの、植物性食品としての野菜類について記述されており、野菜を葉菜、果菜、根菜、臭菜その他に分け、また香辛菜は別として記載されています。
≪葉菜類≫
カブ菜、アザミ、チシャ、ギシギシ、フキ、フユアオイ(オカノリ)、セリ、ミズアオイ、コナギ、カサモチ、ワラビ、ノゲシ、ヨメナ、ジュンサイ、タラの芽、アサザ、イタドリなど
≪果菜類≫
アオウリ、シロウリ、マクワウリ、トウガン、ナスなど
≪根菜類、その他≫
サトイモ、ヤマノイモ、トコロ、ダイコン、レンコン、タケノコなど
≪香辛類≫
カラシナ、ショウガ、サンショウ、ミョウガ、タデ、ワサビなど
以上のように正倉院文書の中には、野菜に関する記録が多く残されており、「奈良朝食生活の研究」著者である関根氏は、文書の調査をした結果、当時は野生植物への依存の程度がかなり大きかったとの見解を示しています。
【『本草和名』の中から平安時代にみられる野菜】
『本草和名』は薬師、深根輔仁が勅を奉じて平安時代初期に撰進した日本で最初の本草書であり、本草とは元来薬の元となる草、つまりは”薬草”のことです。
『本草和名』には「菜」の部、芋などの「菓」の部、大豆などの豆類は「米穀」の部と分けられ、野菜が記載されています。
≪「菜」の部に記載されている現在の種名≫
ウリの種、トウガン、ウリのヘタ、シロウリ、キュウリ、マクワウリ、フユアオイ、ヒユ、
ノゲシ、ナズナ、カブ、ダイコン、ツケナ、カラシナ、ウマゴヤシ、エゴマ、タデ、ネギ、ラッキョウ、ニラ、ミョウガ、フダンソウ、シソ、ヒョウタン、セリ、ジュンサイ、ハコベ、ドクダミ、ニンニク、スミレ、アブラナ、ナス、ワサビ、ノダイコン、アギ、コウホネ、チシャ、フキ、ワラビ、ヨメナ、ノビル、マコモ、など
『本草和名には「菜」の部で62種類、「菓」の部で45種類、「米穀」の部で35種類が記されている。また、この他「草」の部で257種類が記されており、ゴボウ、ヤマツイモなどは「草」の部に入っている。
これだけ多くの植物について、漢名に応じた和名を記載したことは、本草学者の知識が高く、実物をよく知っていたことを示しており、また同時に一般庶民が多くの植物を識別し、呼び名を持っていたことを示している。