長江 愛の詩 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

2016年 中国
監督: ヤン・チャオ
撮影: リー・ピンビン
原題: 長江図 / Crosscurrent


2月末期日の、映画が1,000円で観られるクーポンがありました。2月はスタミナ切れ起こしていたので、無駄になりそうだな・・・と思っていたらポツンと予定が変わって週末フリーになったので恵比寿ガーデンプレイスに出かけました^^。その日の上映作品のうち、予告編が美しくて気になったのがこちら。悠久の長江を巡る一大抒情詩!これはスクリーンで、4Kで観るべき予感。まずはどうにもこうにもソソられる、予告編を紹介代わりにハイ、ドーゾ(*‘∀‘)。

 

 

・・・ね、スクリーンで観たくなりませんか?(笑) 風光明媚な長江の美しい自然を愛でる情緒あふれる大河ロマンかと思いきや、思いのほか難解で手ごわい映画でしたΣ(゚Д゚)。でも、何とも言えず切なく美しいのです。構想、企画、撮影、完成まで述べ10年もの月日をかけたという本作。2016年第66回ベルリン国際映画祭で銀熊賞です。

 

一番最初の構想ではもっと単純で解かりやすいストーリーだったそうですが、練りに練ってゆくうちに複雑な多重構造の幻想的かつ哲学的な物語に。敢えて基本的な情報や説明を省いて余白と余韻を思いっきり広げて様々な解釈を鑑賞者へ委ねた作品。観おわった後もずーっと気になり続けます。そして、美しい音楽と山水画のような渓谷。撮影監督のリー・ピンビンは、ウォン・カーウァイ監督の不朽の名作「花様年華」も手掛けた人。映像の美しさに納得。はい、やはりチャンスがあれば是非ともスクリーンで4K上映を堪能すべきかと。(上映館情報などは公式サイトからどうぞ^^)




主人公のガオ・チュン(チン・ハオ)は、父親の死によりオンボロ貨物船「広徳号」を引継ぎ、船長となります。乗務員は、父の代から長年広徳号に乗ってきた(航海士だったかな)酒浸りのホンウェイ老人(ワン・ホンウェイ)と、貨物の受注や船の操舵含め雑用を取り仕切っている若い船員ウー・シェン(ウー・リンポン)の2人。ガオ・チュンの故郷の古い習わしでは、父親を亡くした息子は黒い魚を捕まえて供えます。一切の餌を与えず、その魚が死んだ時に父親の魂も安らぎを得ると言われているそうです。ガオ・チュンも習わし通りに父の為の黒い魚を甕に入れ、それを広徳号に持ち込み船長としての初仕事に着きます。恐らく、ガオ・チュンは船乗りとしてはほぼ素人で、これまで何をしてきたのかとか、父の死がきっかけとはいえなぜ船を引継ぐことにしたのかなどの説明は一切ありません。スタートからして色々と想像が膨らみます。


※画像を国立環境研究所の三峡ダムに関するコラムページからお借りしました。

チベットの高原地帯を水源とし、全長6300kmに渡って中国大陸を横断し上海から東シナ海へ注ぐ長江。まさに中国4,000年の悠久の歴史の象徴のような存在。ですが車、電車、飛行機など他の早くて手軽な移動手段の発達に押されて旅客船の運行も今は廃止され、さらに2009年に世界最大の三峡ダムが完成したことによって流れもせき止められ、長江の景観にも自然環境にも大きな変化が起こりつつある現在。

ガオ・チュンの古びた
広徳号は、ウー・シェンが見つけてきたクライアントの秘密の貨物(とある種類の魚の稚魚1トン、と説明されますが中身にについては詮索不要、秘密裏に運搬するよう求められます)と共に、上海から出発し下流から上流に逆送する形で長江を辿ります。英語タイトルの”Crosscurrent=逆流”は、ひとつはこの物理的な逆流、すなわち広徳号の辿る航路のことをまず指していると思われます。



広徳号に乗船してすぐ機関室で古い詩集を発見するガオ・チュン。
「長江図」と題されたその詩集には、まるで航海記録のように20年前の日付と寄港した長江のポイントの記録と共に、誌が記されていました。この詩を書いたのはいったい誰なのか。(公式サイトや映画の紹介サイトなどではガオ・チュンの父親が書いたもの、という記述がありますしその可能性が高いことも確かですが劇中でははっきりと明かされていません。元の構想段階では父親のものという設定があった、または最後の編集段階でその部分をカットしたのかもしれませんね)誌に惹きつけられたガオ・チュンは、広徳号のことはすっかり上の空で四六時中詩集に首っ引き。



そして、上海で見かけて気になった美しい女性と、その後度々再開し、
身体を重ね、時には夫婦のように過ごし、不思議で幸福なひとときを過ごしてはまた船に戻り長江を逆流していくのでした。アン・ルー(シン・ジーレイ)という名の美しい謎の女性。再会する度にちょっとづつ雰囲気が変わり(段々若々しくなっていく)、状況も様々。港湾の男たちに身体を売る船宿の女だったり、医者だった母を亡くして川辺の家で一人暮らしをしていたり、度々長江の洪水で水没する集落に家を構えていたり(そして、そこには彼女の”夫”の姿も!)。そもそも、船で移動するガオ・チュンの行く先々に待ち構えているというのも物理的に違和感です。



上海、南京などの商業地域の賑わい、静かな侘びれた集落、ゆったりと進む船。時間も音楽も景色もゆったりともの悲しさを含む美しい時間が続きますが、三峡ダムがその全てを突然断絶します。そして、「長江図」にある土地で必ず出会っていたアン・ルーの姿がある時期から見えなくなり、ガオ・チュンは焦燥感に駆られます。その姿は、この世のものならぬ何者かに魅入られたかのよう。元々素人な上に仕事は上の空で全部船員にまかせっきり。ちょっとづつ鬱積してきたウー・シェンの不満も爆発しトラブルも発生。そして、ベテランのホンウェイは、「貨物はたった1匹の魚だった。それを川へ逃がした」という書置きを残して謎の失踪。貨物と乗組員を失い空っぽになった広徳号にたった一人残されたガオ・チュンは、ただひたすらアン・ルーの面影を求めて長江をさかのぼり続け、ますます現世と幻影の淵に迷い込みます。



孤独に彷徨うガオ・チュンと広徳号の下を一瞬、イルカのような海洋生物が通り過ぎるシーンがあります。長江のヌシ?伝説の生物?宮本輝原作の「泥の河」のヌシを思い出しました。益々もって幻想的な!と思ったのですが、長江には本当にイルカが棲んでいる(いた)のですね。世界でも長江のみに生息している「ヨウスコウカワイルカ」という希少種で、しかも絶滅危惧種。(広徳号に積み込まれ、逃がされた秘密の貨物は密取引されるヨウスコウカワイルカだったんでしょうか) へぇえ~!そしてついに、長江の水源にたどり着いたガオ・チュン・・・。



ガオ・チュンは一体何の旅をしていたのでしょうか。ガオ・チュンが見ているのは現実なのか幻影なのか。まだこの世に留まっている父親が、あるいはその父への供え物の魚が見せているのか。途中途中のポイントは、ガオ・チュンの肉体と、魂それぞれの分岐点でもあったのかもしれません。そしてアン・ルーは誰なのか。長江のヌシ(ヨウスコウカワイルカ)の化身、あるいは長江そのものの化身?誰かの記憶だとしたら、誰の?ガオ・チュンの父の記憶、あるいはガオ・チュンの過去かもしれません。ガオ・チュンでも彼の父でもない、他の誰か、「長江図」の作者(父親とは別と前提した場合)の記憶なのかもしれないし、詩集そのものだったのかもしれない。

監督は、どんな仮説も肯定せず、否定せず、限定していません。ガオ・チュンの、長江と時空と記憶を逆行していくかのような旅路を通して、悠久の長江そのものの息吹を感じるようでもあります。謎はどこまでもどこまでも深まり、永遠に尽きることがありません。答えが出ない難問に取り組む思考活動をトコトン楽しむか、いっそ細かいことは拘らず、失われつつある雄大な景観を観光しているつもりで楽しむか、人それぞれ、その時の気分によっても楽しみ方も様々選べます。

間違いなく言えるのは、映像も、音楽も、登場人物たちも全て抒情に富み哀愁を帯びその美しさに息を呑むということ。1,000円鑑賞クーポンがなければ、そして期限ギリギリで予定が空かなければ気が付かずスルーしていたかもしれない作品。出会えてよかったです(´ω`*)。