ここで、ちょっと高校時代に話を戻します。

 
高校に入ったら、思いっきりRCを、と考えていました。
しかし、、、普通科に入った意識なんかなかったのですが、周りはすでに大学進学の雰囲気。。
さらに、部活(バレー部でした)のため、ほんとに時間がないのです。
高校入学と同時にコンポも手に入れて、そっちにもお金がかかるようになって、お金も回らなくなってしまいました。
ラジマガを毎月買っていましたが、84年の夏あたりからはそれもなくなりました。
 
82年のayk3連覇から、高校受験のためややRCから離れていた時期のサイクロンのつまずき、再びRCに触れたときには、ファントム5割、スピリット2割、アソシ2割、ayk1割、って言う感じでしょうか?
84年に、CXクアトロのプロト(まだリヤにはサスがありません)が出てきたときまでは記憶がありますが、それからぷっつり、になります。
 
それから、大学受験が終わる87年2月くらいまではほとんどRCに触れることがありませんでした。
松山に受験で行った帰りに、あのCXクアトロが速かったことを知ります。(すでにパーセックはデビューしていましたが、知りませんでした。)
86年の全日本では浜田選手が優勝の可能性があったそうですが、それも知らない状態でした。
 
以上のような状況でした。84年の全日本で堀選手のロードランナーが優勝したことも、85年に再び高麗選手が優勝したことも、86年に初めて広坂選手が優勝したことも、全く知りませんでした。
 
87年に大学生になりました。そこから、失われた3年間のための動きがものすごい勢いで進んでいくのです。
この時点で持っていたのは、フタバFP-2L、フロントをクラッシュで折ったままのRFクアトロ、7.2Vバッテリ1本という状況でした。
 
つづく