川端康成の小説"古都"。
「御室の桜も一目見たら春の義理がすんだようなもんや」とあるけれど。
仁和寺の御室桜は京都で一番遅咲きの桜として知られている背丈の低い桜で。花(鼻)が低い→別名「お多福桜」とも。…洒落てる(笑)

4月末から5月頭に見頃を迎える「兼六園菊桜」は初代が国の天然記念物だったが昭和45年に枯死したため指定は解除。今の菊桜は初代から接ぎ木をして育てた二代目。
初代の桜は花弁が300枚で、今ある二代目の花弁は250枚くらいあり年々多くなっていく傾向で。開花してから、椿のように花そのものが落下するまでの間に3度も色を変える。
蕾の時は深紅→咲き始め薄紅→落下時は白に近い。



因みに接ぎ木をして復活させたのは「祇園の夜桜」としても親しまれている円山公園の枝垂れ桜を育てた京都の桜守でもある佐野藤右衛門さん。
祖父(14代)、父(15代)と2代にわたり。樹齢300年を超える名桜という事でプロジェクトXにも匹敵する大変な苦労話があった。
何度も金沢まで接ぎ穂を貰いに行って色々と試したけれど全く接いてくれず。老木で桜自体が弱っているから接ぎ穂の為とは言え「もう切らないでくれ」と言われてたのを「最後にもう一度!!」と。10本切った接ぎ穂を水に濡らした新聞で包むとか紙に入れて持ってくる…とか色々工夫して駄目だったから、「それやったらもうとにかく俺と一緒やぞ」と朝日が出る前の夜露が光っている時に切って口にくわえて京都まで持って帰ったんだとか( ̄□ ̄)!!
そうまでしても10本の内たった1本しか接かず。それを雨が降れば夜中に起きてビニールをかけたり、虫がつかないように手当てしたり…と。大変な苦労をしつつ7~8年かけて大事に育てた菊桜を昭和42年に兼六園へ返したそうです。
………‥。
……‥。
…‥。
この話を知ってからというもの。色んな桜を楽しみながらも最後の最後には、兼六園菊桜を見ないと私の中での『春の義理』は終わらないようになりました。


最近は食べもの日記が多かったけど。今日は珍しく真面目な内容をアップしてみたの(^^)