天の国はその人たちのものである。
マタイによる福音書5:3
山上の説教の中の、イエス キリストの言葉。
集まってきた群衆は、それぞれが個人的な救いを求めて集まって来た人たち。
そのような人達を前に、イエス様はお一人で神様にお祈りをする為に、山へと向かわれた
ところが、群衆はイエス様の後を追ってついてきた。
そして山の頂上で、群衆に向かわれてお話しをされ始めた。その第一声が、冒頭の一言だった。
訳される前の原語では、
おめでとう!心の貧しい人たち!
といったように、勢いのあるお祝いの言葉だそうだ。
心貧しいとは、心冷たいとか、愛情の無いという意味ではなく、心の入れ物の中が少ない、とか乏しい、足りないことを表しているといるという。
充たされない何かを求めてついてきた群衆にイエス キリストは神様のみ言葉で充したのだ
パウロの言葉
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
コリント信徒への手紙Ⅱ 4:7
人は、神様に作られた土の器のようなもの。
この空っぽな器に、輝くたくさんのものでみたしていこう。
イエス様の光とみことばを宝として、充していこう。
私たちは四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
コリント信徒への手紙Ⅱ 4:8~9
欠けてひびがはいろうとも、決して壊れることのないように。