日本人の精神的土壌が、そもそも明確な表現を避け、特定なものに限定されるのを回避したいという方向性があるからなのか、曖昧さを好み、更なる豊かさを求めようとする方向性があるからなのか。
どちらかなのか。両方なのか。
自分自身が真っ只中にあるものについて、理由を問いかけ、分析し、答えを見出そうとするのは非常に難しい。
どの分野に尋ねればよいのか。
心理学なのか、歴史学なのか。言語学なのか
総合として、哲学的に考えるのか。
よく分からない。
そして、言葉の選択や使い方は個人の裁量により異なる。
私が現実において、上記の考えを巡らす原因となったのは、あるひとつの日本語の単語だった。
専門的に考える知識もなければ、スキルも無い。
知恵も無いので、思考の辿りついた場所はぼんやり霧の中。
まさに曖昧さの海で、溺れてしまった感。
感覚に頼り見ると、なんとなく受け取れるのはマイナス向きなイメージ。
人とのやりとりの中で出会った、ある言葉について受け取った感覚。
やりとり、交流のなかで私が一番重要視するのは
自他共に安心していられる信頼関係。
なかなか難しい。
どうやったら客観的な理解力を身につけることが出来るのだろう。
どうしても、自分視点になることを免れ得ないならば、紛らわしいことは避けるべきかもしれない。
間接表現に頼りすぎても良くない。
信頼感。
これを表明する為に、どんな手段を使えばいいの?
言葉以上で。