先日とある客人を宮崎でお迎えした。
もしかしたら、今のところお互い会ってはいけないライバル関係の立場になるかもしれない。
しかし、そこはお互いプロフェッショナル。
久しぶりの再会を喜び、美味しい料理に舌鼓をうち、またそれぞれの立場に戻っていった。
そんな友人が、お土産をくれた時、「これ、機内で読んだんですけど、もし良かったら読んでください!」と一冊の雑誌をくれた。
Number 〜中田英寿20年目のイタリア〜
と書かれた本だった。
もちろん中田英寿は、サッカーをやっていた人間にとって今でもスターだし、日本代表歴代最高峰の選手であったことは誰もが認めるとこだ。
しかし、特に彼に中田のファンであると言う話をした事はないし、実際ファンというほどではない笑笑
何となくくれたのかなぁ〜と不思議に思いながらとりあえず頂いた。
そんな事で、とくに読まずに数日が過ぎていた。
そして今日、なんだか珍しく夜中に目が覚めた。
いつも4〜5時頃に目が覚めて新聞読んで仕事して、21時には子供達と寝るという生活の僕にとって、珍しいことである。
なんだか気になって、机にポンと置いてあったこの本を手に取り読んでみた。
そこには、僕ら日本のファンがイメージしていた輝かしい栄光についての話ではなく、むしろ引退までの苦悩の日々について書かれていた。
そして、イタリア人、それぞれのクラブの本拠地の人々が、彼をどれだけ愛していたかがわかるものだった。
そんな本の内容については、中田英寿好きの皆さんは是非お買い求めいただき、読んで欲しいのだが、僕はインタビューを行っていた、過去の所属クラブのスタジアムの様子に心を奪われた。
サッカー、いやカルチョの歴史が古く、文化になっているイタリアでは、至る所にスタジアムがある。
中には、近代的な建造物もあるのだろうが、今回写っていた、ペルージャやローマ、ボローニャにフィレンツェは、どれも世界遺産を見ているような歴史的建造物であった。
人々が、どの様にクラブと共に生きてきたのか、またクラブとは人々にとってどう言う物なのか、言葉ではなく、スタジアムそのものが表している気がした。
日本は、国体の開催に合わせて作られた陸上競技場が一般的で、これらを使いJリーグの試合などを行なっている。
しかしそれはどれも、競技者の為のまさに"競技場"であり、人々が観戦し熱狂し町を表現するスタジアムではない。
僕は、このブログで"脱アスリートファースト"と言う言葉を掲げているが、まさにそれが形になっているのがこのイタリアのスタジアムな様な気がした。
私は残念ながらまだイタリアに行ったことはない。
しかし、ブラジルやその他の海外で見たスタジアムは同じくそれだった。
僕は今後日本で町をつくる、スタジアムをつくる事を考えた時、やはりこの感覚を忘れずにつくりたいと思った。
人々が観戦し熱狂し町を表現するスタジアム。
そんな人々の思いを背負う事こそが、アスリート達の喜びだと思うからである。
しかし、これらを作っていくには本当に長い時間を要することだろう。
予算がついて!一年や二年でできる事じゃない。
スタジアムが人々を町を表現するものになるためには、そこでプレーする選手はもちろん、支えるサポーター、スタッフ、人々みんなが携わっていかなければならない。
そのために多くの時間を費やしても、それは決して無駄な事じゃない。
クラブライセンスの為、つまり競技のためにある様なものであってはならない。
改めてそう感じさせられた時間だった。
この雑誌との偶然の出会いに感謝したい。
最近は、SNS出なくてこちらで本音を書くことにしてます!たまには覗いてみてくださいね!