1月1日父がピンピンコロリで大往生

歩行困難、信号の色も見れなくなった40歳の時、他力治療法が一切効かないどん底を経験し自分の体を自分で治す‘プラスムーブ’を編み出し独り占めしてはいけないと伝えているプラスムーブの中田智子です。


本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年1月1日早朝、父が帰らぬ人となりました。

なんの延命処置も必要なく兼ねてより父の希望通りピンピンコロリで 大往生でした。

お正月の三が日過ぎるまでご報告を控えておりましたが
昨日4日葬儀は家族葬にて無事見送る事ができました。

新年のご挨拶を辞退させていただくと共に
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

12月13日の診察日はレントゲンでは変わりないとの事

エコーの状態は手術をしたいところですが90歳なので薬での処置をとの事。
 
この頃はこれまでと変わりない様子でしたが、転け出した事から父が初めて施設を入所を希望しました。

その手配を始めなんとか入所できました。

母が他界し10年
常に父の「家で暮らしたい」と言う、意思通りに応えて来たので、
最後に突全希望した施設で「第四の人生が始まる!」と希望を持っていました。

二泊三日と短い期間でしたが経験でき良かったと思いました。

とにかく22日過ぎ頃から様子が変わりました。

22日に低温火傷、大丈夫と言う父を24日に無理に形成外科に連れて行きその処置が毎日必要との事で、毎日施設に迎えに行き通院

12月31日は父がとても辛そうと判断し車中で診察を依頼

変だと感じた私の独断で、その足でかかりつけの持病の心臓専門の桜橋渡辺病院へ緊急診療依頼しそのまま入院する事になりました。

その時父は「終わりやな」とつぶやきました。

誰かわかるか?の質問に目を開けて笑顔で「ともこや」と答えてくれ「ありがとう!」と伝えることができました。

もう一度誰かわかるか?と聞くと「おかぁちゃんや」と、、母の事を言いました。

20日頃から今まで一度夢に出て来なかった母が現れると言っていました。

父は心不全でしので火傷の治療の点滴により、心不全が悪化する可能性がありました。
その事を医師から聞いていました。

治療は、呼吸器はつけませんが、別の処置をする可能性があり、それは承諾済みでしたが、
同じ心不全だった母の経験から父も嫌だったのだと思います。

父は自分の意思で苦しむ事なくこの世を去ったのだと思います。

長年診て頂いていた心臓専門の病院での最期でしたので、悔いは残りませんでした。

渡辺病院はブリーゼブリーゼの隣なので、11月の診察の時に見に来てくれてとても喜んでくれました。
プラスムーブのエクササイズは楽になるらしく、とても応援してくれていました。

父も自分で頑張る人!
『頑張り屋のガンガン』

なので「自分で頑張れば体が応えてくれる事が沢山に人に伝わると良いな」と言ってくれてました。

「私も頑張り屋のガンガン見習って頑張るな!」と約束しました。


今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。