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Eden

時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

地球アトラクションストーリーの時間を、


全プレイヤーが遊び尽くせるようになるための歯車。




万物の存在影響がその歯車として機能し合っている世界、ゲーム。




どれだけちっぽけな存在に思えても、必要とされない存在に思えても、


害しかもたらさない存在に思えても、存在し続けている以上、


この地球アトラクションを成立させる上で存在を願われている生命。




この地球アトラクションを成立させる上で欠かせない歯車として機能し続ける限り、


生かされ続けることを拒否することはできない。




歯車として機能しないと判断されれば、


生きるためにしておかないといけないと信じていること、


安心、安全、安定のための対策をどれだけ抜け目なく取り組んでいるとしても、


生命の自我意志に関係なく生かされなくなり、呆気なくゲーム終了。(即死)




死を迎えれば無事にアトラクションを終えて、


事前に希望したストーリー体験を全て味わえた最高の祝福の証。




生きられなくなる恐れや死を回避するために


しなければならないという義務感に縛られること。




そのような義務感のために躍起になることは、


この地球アトラクションにおいては必須事項ではなく、意味が無い。




不安定の存在を許すこと、不安定の中で生かされ続けている、


守られ続けている実感の積み重ねから、


本物の安定、安心、安全を体感できるようになる地球アトラクション。




この地球アトラクションの歯車として、


世界の成すがまま、今起こるがままを思い切り味わう中で。




自分や世界を見限ること、この世界から去ることを思い留まるような、


輝きと愛と生命力が日常の中に姿を現す。




日常の中の今の世界の成すがままに、今起こるがままに


常に各々ための真理が用意されていること、


探求の必要がなく、それだけで全てが十分だったことに人は気付いていく。

自我人格は理想と安定を思い描き、手に入れようとする。




努力した結果、形になることもあれば、形にならない場合もあるが、


形になった瞬間、最高の喜びが湧き上がってきたかもしれない。




しかし、その後の展開を覚えているだろうか?




めでたしめでたし・・・。




そう心から思い続けられるような現実を迎えた経験が、


正直記憶の中に存在しているかと問われると・・・。




恐らく皆無と答えても言い過ぎではない。
(自我人格視点の場合)




恋愛や結婚で両想いで付き合えたけど、


後々にイメージと違う体験をして苦い思いをする。



恵まれた幸せと自由と名誉と家族を得たけど、


子供やパートナーに愛想を尽かされる、家庭崩壊する。



莫大なお金(宝くじとか)を手に入れても支出や生活水準が高まって、


更に金銭で苦労する、お金稼ぎゲームにより縛られる。




これらはよく見られる事例だが、


自我人格にとっては非常に意地悪で酷なゲーム内容が組み込まれていて、


自我人格の持つ理想や安定を思い通りに

 

 

実現することはできない罠が仕掛けられている。




原因は地球アトラクションの進行権限と決裁権を持つ管理体の人格は、


理想がずっと続いていく安定を求めておらず、


自我人格は管理体の人格には逆らえないため。




管理体の人格は体験そのものと体験の連続から紡がれるストーリーそのものを


至福としている関係上、安定という不変の時間が永遠に続くことを却下して、


不安定という要素を地球アトラクション内に強制投入する。




不安定というのは自我人格の視点から見た時の


問題、不安、心配、悩みなどのことで、


不安定を活かして人々を揺さ振り、


異なる時間を体験せざるを得ない状況を構築し続ける。




体験の範囲と深さが拡大し続ける不安定の中にいられることが、


夢に見た最高の舞台と喜びとして映る感性は、


かなり理解し辛く、受け入れ難い温度差と言えるかもしれない。




そういう意味では理想の安定を目標にして生きる姿というのは、


してはいけないことでも、やらない方が良いというわけでもないが、


管理体の人格からは焦点がずれているエネルギーの浪費状態と思われているだろう。




自我人格の持つ理想や安定は存在しない幻だが、


不安定に慣れて、不安定に対して有難いと感じられる視点を持てると、


地球アトラクションの時間が今までよりは生きやすくなる。




健康、お金、仕事、家族、恋愛など、


このアトラクションは分野に限らず不安定は付き物だが、


常に不安定の中にいるのが自然で、とても順調で快適なことであり、


不安定な現実や自身のことを否定する必要も責める必要もないなら、


少しは気持ちが軽くなって落ち着けるだろうか。




あなたの本体とも言える人格は今頃大喜びであり、


「事前に希望した多様な体験とストーリーを遊ばせてくれて、ありがとう!」


とあなたに伝えているでしょう。




不安定といっても、自我人格の目には見えない安全と守護は存在するため、


誰でも不安定の中で生かされる愛、守られる愛に


支えられること、恵まれることは保障されている。




不安定を通して起こり続ける変化の体験全てと、


各々の独自の地球ストーリーを生かされる日が終わるまで


存分に味わって、遊び尽くして下さい。




存在しているだけで完遂される、


年齢、立場、性別、能力、境遇を問わず、皆が果たせる約束。

その存在を許すことができないもの。


日々逃れようとしているもの、起こらないようにしているもの。




体験の記憶から命に埋め込まれた、

 

 

自我人格の持つ存在を認められない、許せないという


エネルギー反応が消化され、全ての物事、現象の存在を許せる時。




その時点で全ての探求と問題は終わりを迎える。




起こることが何でも良くなり、


ただ現れる全ての現象と共に在る姿だけになってゆく。




実現、解決、改善といった行為やそこから得る現実そのものではなく、


逃れたいもの、起きて欲しくないもの、存在を許せないものが無い状態が、


涅槃の世界と時間へと通じる道。




不本意なことに時間を切り売りしないといけない学校、労働、家事。


制限や縛りの多い不自由な状態。


非難や敵視、中傷的な人間関係のエネルギー。


不細工な自分、恋愛の浮気や不倫、恋人や結婚が全くできない、天涯孤独、孤立。




経営している企業の倒産、倒産からの借金、事業の廃業。


家庭を持っていて、家族全員が路頭に迷う。


支払いができなくなる状態、住む家が無くなる状態、サービスを全く受けられない状態。




天災や戦争で全てを破壊される、犯罪や詐欺に巻き込まれる。


深刻な病、持病、それらの影響。


罪の意識、友人・家族の自殺、自殺に追い込んだ経験。




こういった現象は現代社会では拒絶される傾向が非常に強い要素のため、


「自分の人生と共存していても全然構わないし、歓迎ですよ~」というような


純粋な許しの波動が自然と滲み出ている人は少ないだろう。




内部に埋め込まれたエネルギー反応は思考で向き合って取り除くことは難しく、


他者からの話や影響だけでも頭の理解なので難しいが、


エネルギー反応の消化の作業自体は至ってシンプル。




全ての存在の許しが起こる時、


全ての解放と味方がいつもあなたと共にいてくれる。

ふたご座流星群による大量の流れ星、星降る夜、

 

 

冬の天の川を堪能しましたが、神秘の美しさに惹かれ、

 

 

時間の流れがとても早く感じました☆

 

 

 

星空の下で自分を見つめる時間からも

 

 

充足感を得られた素敵な夜でした♪

 

 

 

 

お勧めの星空スポットがあれば、

 

 

是非教えて頂ければと思います^^

地球アトラクションの進行権限や決裁権を持つ管理体と、


体験から後天的に創られた自我人格の温度差は凄まじい。




自我人格は実創造、実現、成長、改善、解決といった、


特定の良い結果を得ること、特定の良い結果から満たされるイメージを見ている。




それに対して管理体の人格にはそういった概念が存在していない。




事前に希望して注文した地球アトラクションでのストーリー体験を


確実に遊べる状況が常に日々展開されていくことが確約されている関係上、


これ以上創造、実現、成長、改善、解決などの行為を加えることができないため。




展開された体験そのものと、その体験の連続から紡がれる


ストーリーそのものに至福を見ている。




両者の見ている方向が全然違う上に、物事の決裁権は管理体の人格が持ち、


日々生きている上で人々は自我人格の方を自分だと信じるのが通常。




人間として生きることになった者達からすると、何ともややこしく、


すぐに解説書を寄越せと主張したくなる衝動に駆られるかもしれない。




地球アトラクションの目的を考慮すると、管理体の人格の正体を


正確に全て把握することは禁止されていると考えられるため、


この解説書を取り寄せることは厳しいと思われる。




けれど、視点を変えると、生きる時間が


非常に気が楽になる観点として見ることもできる。




自我人格は創造、実現、成長、改善、解決などの概念を重視して、


それらの要素は不可欠だと信じ込んで、


その上で自分はまだ至らない部分があると捉えているので、


物事を自ら複雑且つ難しい内容にすることを可能にしている。




ハードルが高い方が燃えると感じる感性が存在するように、


複雑で難しい内容に取り組む時間の方にも様々な魅力があるという事実が、


難解な状況や人生を自発的に生きる理由にもなっていると言えるだろう。




創造、実現、成長、改善、解決などを必要としない世界でもある中で、


もし困難や蟠りを感じることがあるとすれば、


それは世界や自分自身、外的現象に欠陥があるというよりは、


物事に価値を付けている価値観によって困難や蟠りがあるように映っている。




納得できない原因は全て自我人格の思い違いであり、


ただ欠陥の無い世界から外れた時間、生き様の魅力を体感したいと感じる


理由が何かあるから、自我人格を主体として生きているに過ぎない。




本来は初期から全ての人々、命が既に悟りのような境地に至っており、


創造、実現、成長、改善、解決などを必要としない世界は、


誰にでも与えられていて、特殊な人にだけ縁があるものではなく、


そのような世界を生きる権利と力を全ての人々、命が持っている。