体験していること、見えているものは
全てが仮想の産物であり、実在していない。
そう耳にした時、実際にそんな目線からの
体感に焦点を当ててみることにした。
その視野と繋がると、全てが無に帰すような、
原初の白紙へと移行する。
意識が飛び去り、
立ち現れていた万物は無くなる。
ふと目を覚まして、肉体の意識が混ざると、
残っている肉体の意識を通した
仮想の空間が再び立ち現れる。
確かに起きているように見えていたものの多くが、
儚い夢のように遥か彼方へと帰っていった。
存在しているように認識していたものの多くが、
初めから作り話であるかのように無くなっていった。
この作り話の空間の外とは何なのか。
そんな好奇心を通して、
ずっと前から浮かんでくるもの。
物理法則なども存在しないということなら、
支払いの概念やシステム、資本主義社会そのものも、
作り話や仮想の産物の一種。
生きている、名前、人生、世界、地球といった
大元の認識も、作り話や仮想の産物の一種。
肉体から完全に再分離した状態、
もしくは再分離している意識の中では、
そういう体感は当然の感覚。
好奇心を感じるのは、肉体を物質化の遊戯のために残しながら、
そのような大元の仮想の産物がどこまで消え去っていくのか。
そして、最後に何が残り、何を体感するのか。
今日も資本主義社会や支払いのシステムといった
大元のまやかしを晴らす時間を。
ただ湧いてくるままに。