世界に流れている時間、生命が在ることの本質的な時間は
恐れ、深刻、摩擦、抵抗が起こり得ない涅槃の均衡であり、
それは人を含めた生命に無条件に与えられた権利と、
平等に体験できる生の機会です。
今、どんな状態で、どのような生の時間が流れているとしても、
元々はこの世に生まれ落ちたことも、今までの人生の軌跡も、
現在の現象の中でも、これから起こる未来でも、
その全ての瞬間において例外なく生命は涅槃の均衡の中で
生かしてもらえるように守られている優しさが流れています。
ただ、源の本性から乖離した自我意識を組み込まれた人類だけが、
その事実や記憶を忘れて、自我さんが主観的に生み出した
苦悩、問題、悪、敵、絶望、地獄といった涅槃の均衡が崩れた
歪みの虚構世界に入り込んでいきます。
その歪みの幻術空間は人間にしかできない人としての
生の機会の醍醐味なので、それをする意義が無いわけではなく、
むしろ堪能することを求められているものだと言えるでしょう。
ですが、今、生きている瞬間の中で、肉体の中に住み着いている
世界の涅槃の均衡を捻じ曲げる自我意識さんの曲解的な反応や
解釈のエネルギーから解脱できるということ。
生誕から今まで歩んできた軌跡も、今起きている時間も、
欲求や夢、目標、実現、改善といった概念や、
欠乏、不出来な世界、警戒、防衛、恐れ、深刻といった概念が
元々は生じるはずがない世界、
これ以上の、これ以外の満ち足りた道や世界など
他に有り得ない世界として立ち現れていること。
その本質的な真実の時空間へと還る権利を、
そのような世界線が起きていることに気付ける力を
所有していることも覚えておいて下さい。
人々が直面しているかのように見えている摩擦や抵抗に対する
様々な恐れや危機感、緊張感、プレッシャー、焦りなどのストレスや、
その反射的な反応からの警戒や防衛態勢は
自我意識さんによる幻覚症状のようなもので、
絶対的に確立されている現象ではありません。
そういったストレスが実在しない性質。
そのような警戒、防衛態勢が実は必要のない性質。
それが世界や生命が在ることの本来の姿。
そんな存在の至福や感涙、温かさに元来満ち溢れている
生の機会、世界の時間は、ごく一部の特殊な生命にだけ
縁があるものではなく、全ての生命に無条件に
約束されたものであり、平等に起き続けています。
その優しさを、その慈愛を、その光を、
その平和を、その尊さを。
今一度信じてみませんか?
思い出してみませんか?
身体や細胞が動き出した人から、
神様は喜んで迎え入れてくれるでしょう☆